スッタニパータ186

第一 蛇の章

<10、アーラヴァカという神霊>

186 [師いわく、──]「諸々の尊敬さるべき人が安らぎを得る理法を信じ、精励し、聡明であって、教えを聞こうと熱望するならば、ついに智慧を得る。

〈中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より〉


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた
安らぎ――nibbhana.
教えを聞こうと熱望する――刊本にはsussusaとあるが、ブッダゴーサ註にはyava dhammasavanena sassusam labhatiとなっているので、後者に従って解した。以上註より引用した。

師とは、むろんブッダのことです。これから前句の質問の回答が始まります。まずは智慧を得る方法です。智慧を得るにはその条件が必要です。誰でも智慧を得れるわけではないのです。そんじょそこらの生活の知恵とは違います。猿知恵、浅知恵でもないのです。いわば崇高な「智慧」なのです。

人々の中で「尊敬に値する人」というのは、そうざらにいません。尊敬さるべき人とはそういう人です。あっさり申し上げれば「感謝されている人」と言ってよいでしょう。これが人格的な条件です。人から感謝されてもいない人は、いままで(過去に)努力していない人ですから問題外です。そういう現実に尊敬されている人が、「安らぎを得る理法」つまり仏法(ブッダの教え)を信じて、精励(努力)し、聡明であって(心から納得できて)、教えを聞こうと熱望すること。これは並大抵のことではありませんが、もっともかんたんなステップなのです。

聞いたことを一つ一つ実行すること。実行できるようになったら次にやるべきことを心から聞きたいと強く望むこと。すると新しい教え(身についていないこと)を聞くことができるのです。

一つ具体的な例をお話しましょう。私たちは幸せや平和を望んでいるとしましょう。ところがこれではいつまでたっても求める幸せは永遠に得られません。今現在に幸せや平和を感じる気づくことがなければ、幸せは観念・想像の中にしかないのです。今この瞬間に幸せを感じられるかどうかが智慧の鍵であります。

今日はひさしぶりに尊敬するマインドフルネスの師の動画をご紹介します。この動画で智慧の鍵を得てください。

諸々の尊敬さるべき人が安らぎを得る理法を信じ、精励し、聡明であって、教えを聞こうと熱望するならば、ついに智慧を得る。

正道

正道 について

禅僧。 福井県敦賀市出身。 滋賀県高島市マキノ町に「大慈観音堂」建立中です。 猫好き、音好き、話好き。 モットーは「正月道路」人生は旅修行。

スッタニパータ186」への2件のフィードバック

    1. 信じるというのは、教えを一つでも守って実行している人のこと。一つも守らんといて守らんなあかんと思てるというのとでは雲泥の差。やろうと思っているというのと実際やっているのとでは全く違うどころか、思っただけでは何にもならんのでありまして、まったく信じていない明白な証拠であります。

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