スッタニパータ423

第三 大いなる章

〈1.出家〉

423 姓に関しては〈太陽の裔(すえ)〉といい、種族に関しては〈シャカ族〉(釈迦族)といいます。王さまよ。わたくしはその家から出家したのです。欲望をかなえるためではありません。

中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた
みずから「太陽の裔」と称していたのであるから、ここには太陽崇拝の痕跡が認められる。中世のインドの王家には、太陽の末裔と称する王家と、月の末裔と称する王家とがあった。
 
以上註記より引用した。

太陽の末裔というのはインド神話からきたもので、ゴータマという姓が神話のリシという聖賢の子孫だという極めて難解な話になりますから、ここではそういう学問的な話は脇において、釈迦族の王家の出身だと名乗ったということでいいでしょう。なお、日本には八百万の神々の神話がありますように、インドにも古来より数多の神々が伝承されています。太陽の末裔釈迦族、日本では天照大神の子孫が皇室と呼ばれているようなものです。

問題はその後です。その王家から出家したというのです。何不自由なく育ったが出家した。王位の継承者であったが出家した。王家では大変困るであろうが出家した。欲望を叶えるためではありませんと、きっぱり断言しています。これにはビンビサーラ王の方でカウンターパンチを食らったようなものでしょう。人には欲望がある。それは願望であったり希望であったり、はたまた熱望かもしれません。目的とか目標とか言葉は違っても、煎じ詰めれば全てが欲望といえば欲望であります。そうした世間一般の欲望から全て離れたのです。地位や名誉、財産を得ること、あるいは王位継承者としての権利義務の一切を捨てたわけです。

家族をも捨てた。世間から見れば最低です。普通は許されるものではありません。出家というのは命惜しさに出家するのならやむを得ないとされていますが、何かに失敗して責任をとって出家することもあったでしょうが、自分から何の問題もないのに出家するというのは、ただごとではありません。普通は考えられないことでありましょう。この時代には仏教がまだ成立していないわけですから、前例がほとんどなかったのではないでしょうか。後代にはブッダ釈尊の志を継承して、インドや中国の王族でも、日本の天皇家や貴族でも出家されていますが、当時バラモン階級以外の者が出家することは大きなタブーであったのです。

家いでて 帰ることなき 年の暮(月路)

ここはビンビサーラ王ならずとも次の言葉を待たざるを得ません。なにゆえ欲望を叶えるという人生の一大事をあっさり放棄したのか。王位を蹴ってでも求めたものは何なのか。それほど大事なことがあるのか。興味津々であります。欲望をかなえるためでないなら、いったい何があるというのだ。修行して何になる。そもそも出家とは何なのか。疑問がふくらみます。ああわからない。はやく言ってくれ。王はそう感じたに違いありません。なぜなら、出家する者の気持ちは出家しようと決めた者でなければ決して理解できないからであります。理屈では幾らでも納得もするでしょうが、評論家であれば見事に言葉で説明できるかもしれませんが、実際に出家した者から聞く言葉は、ともあれ実に単純なものでありました。

姓に関しては〈太陽の裔〉といい、種族に関しては〈シャカ族〉(釈迦族)といいます。王さまよ。わたくしはその家から出家したのです。欲望をかなえるためではありません。

正道

正道 について

禅僧。 福井県敦賀市出身。 滋賀県高島市マキノ町に「大慈観音堂」建立中です。 猫好き、音好き、話好き。 モットーは「正月道路」人生は旅修行。

スッタニパータ423」への2件のフィードバック

  1. 正月用の松飾りを切って来て何気なくテレビをみると、色々な場面の渥美清特集。やはり一挙手一投足が面白い。そしてなぜかもの悲しくもあり。
    葬式の集合写真のワンシーン、
    寅さんがカメラを構え、「はい、笑ってー」さくらが思わず、「お、お兄ちゃんっ!・・」
    「あっ、すまねぇすまねぇ、カメラ持つとついなー」
    撮り直し、
    「はいっ!泣いてー」
    もう全員が笑わずにはいられません。
    何なんでしょうね、泣いて笑ってまた泣いて・・・

    1. これは傑作中の傑作。もうじきお通夜が始まるっちゅうに、なんてコメント入れはるんや。もうええ加減にしてや。、泣き笑いの人生。ここ葬儀会館でも至る所で笑いが涙がこぼれ落ちています。

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