日別アーカイブ: 2017年4月27日

スッタニパータ541

第三 大いなる章

〈6.サビヤ〉

541 わたくしが昔いだいていた疑問を、あなたははっきりとあかしてくださいました。眼ある方よ。聖者よ。まことにあなたは〈さとりを開いた人〉です。あなたには、さまたげのおおいがありません。

中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた
さとりを開いた人――saṃbuddha.

以上註記より引用しました。

saṃbuddhaを漢訳では等正覚とうしょうがくといいます。三藐三仏陀さんみゃくさんぶっだ正等覚者しょうとうがくしゃともいいます。かんたんにいえばさとりを開いた人のことです。音訳・意訳とも漢訳を経て日本に入ってきた仏教ですが、間違いなく原典からの流れであることを心したいものです。原始仏教だけでよいとか、やれ上座部仏教こそが本物だとか、大乗仏教はそもそも仏教ではないとか、そうした議論に惑わされてはなりません。それらは戯論けろんであります。それはかんたんに申せば、隣のお父ちゃんの方がカッコイイといっているようなものです。今の信心を大事にしないで、ちょっとすれ違っただけの信仰に引きずり込まれないことです。日本には多くの伝統宗派があります。それが何宗であっても、形式は少々違っていても、スタイルや捉え方のわずかな違いです。八万四千の法門といわれているぐらいですから、顔貌かおかたちが違うようなものです。人間が人種は違っても人類であるように、ブッダの教えは一つであります。慈悲を離れた仏教など一つもないのです。私たちは縁によって結ばれたもの同志であります。仏縁とも法縁とも僧縁ともいいます。この縁ももともとは、血縁のおかげです。父母や兄弟、ご先祖様のおかげです。今こうして佛との縁を頂いていること自体に感謝の誠をささげましょう。教えのとおり実行することです。

舎利禮文しゃりらいもん

一心頂禮いっしんちょうらい。 萬德圓滿まんとくえんまん。 釋迦如來しゃかにょらい。 眞身舎利しんじんしゃり本地法身ほんじほっしん。 法界塔婆ほっかいとうば。 我等禮敬がとうらいきょう。 爲我現身いがげんしん入我我入にゅうががにゅう。 佛加持故ぶつがじこ。 我證菩堤がしょうぼだい。 以佛神力いぶつじんりき利益衆生りやくしゅじょう。 發菩堤心ほつぼだいしん。 修菩薩行しゅぼさつぎょう。 同入圓寂どうにゅうえんじゃく平等大智びょうどうだいち。 今將頂禮こんしょうちょうらい

お経をお唱えするということは、ブッダの言葉を口にするということです。今日の言葉も、口に出して読んでみましょう。外にも内にも聞こえるブッダの声が響いてまいります。ブッダは遠くにいません。いつも身近にいてくれます。そして何かに覆われていない、つまりブッダとの間に時間も距離もないのです。一歩も離れていません。あなたのブッダはあなたの中にしかいません。手を合わす、その合わせた手のぬくもりが、ブッダの手のぬくもりです。このことが心から信じられるかどうかです。合掌してもう一度今日の言葉を唱えましょう。それが今日のブッダの声であります。

わたくしが昔いだいていた疑問を、あなたははっきりと説き明してくださいました。眼ある方よ。聖者よ。まことにあなたは〈さとりを開いた人〉です。あなたには、妨げの覆いがありません。