月別アーカイブ: 2017年7月

スッタニパータ616

第三 大いなる章

〈九、ヴァーセッタ〉

616 人間のうちで盗みをして生活するがあれば、かれは盗賊であって、バラモンではないと知れ。ヴァーセッタよ。

中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた
盗みをして生活する者――adinnaṃ upajivati.直訳すると、「人から与えられない物で生活する者」。
古代インドでは、盗賊が一種の職業と見なされていた。そうして盗賊と国王とは並べて挙げられている。どちらも良民から暴力を以て何ものかをゆすり取るからである。

以上註記より引用した。

 

 

スッタニパータ615

第三 大いなる章

〈九、ヴァーセッタ〉

615 人間のうちで他人に使われて生活する者があれば、かれは傭人やといにんであって、バラモンではないと知れ。ヴァーセッタよ。

中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた

お知らせ

昨日、大慈観音堂の建設予定地を師匠老師が視察されました。

その足で、

地元の曹洞宗常榮寺様へ師匠と理事長と共にご挨拶に参りました。

また地元区長様宅へご挨拶に上がりました。

もう、後には戻れません。

起工式の日取りも8月17日と決まりました。

忙しくなります。

スッタニパータ614

第三 大いなる章

〈九、ヴァーセッタ〉

614 人間のうちで売買をして生活する人あれば、かれは商人であって、バラモンではないと知れ。ヴァーセッタよ。」

中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた
人間のうちで売買をして生活する人が……――叙事詩でも同様にいう(MBh.Ⅲ,207,24)。

以上註記より引用した。

勘違いしてならないのは、バラモンが優れていて商人が劣っているということを言っているのではないことです。昨日までの農夫や職人、これからも同様であります。

商人とは、売買をして生活する人のことだと言っているのです。名称、肩書、地位、職業など人々を区別表示するのは、ただ名称によるのみであるということを延々と説明します。なぜ類似の事例を列挙するのかといえば、例外はないということを間接的に示しているのであります。

スッタニパータ613

第三 大いなる章

〈九、ヴァーセッタ〉

613 人間のうちで、種々の技能によって生活する人があれば、かれは職人であって、バラモンではないと知れ。ヴァーセッタよ。

中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた

人間の違いは、ただ名称・呼び名だけであることを繰り返し例をあげて説かれています。

人々をそれぞれ思い出してみると、それぞれの職についていたり、様々な立場であることがわかります。

かれらのほとんど全てがバラモンではありません。もちろんブッダの定義するバラモンは、生まれつきのバラモンではありません。

バラモンではない人々を列挙して、バラモンとはどういう人間であるかを浮かび上がらそうとされているようです。しかし、ブッダの話はそう単純ではありません。

わたしには人々に生き方を問うておられるような気がしてなりません。

この受け止めは異常かもしれませんが、どこに導いて行かれるのであろうかと、次第に気になってまいりました。今暫く読み続けてまいりましょう。人によって受け止めが大きく違うことが、あらためて理解されていくものと存じます。

スッタニパータ612

第三 大いなる章

〈九、ヴァーセッタ〉

612 人間のうちで、牧によって生活する人があれば、かれは農夫であって、バラモンではないと知れ。ヴァーセッタよ。

中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた
牧牛――原文には牧牛(gorakkha)とあるが、しかし註には「田をまもること」(khettarakkha )、「耕作」(kasikamma)と解す。

人間のうちで、牧牛によって……――以下の諸階級については『メガステネース断片』第四一及び叙事詩(MBh.Ⅲ,207,24-25)参照。

以上註記より引用した。

 

スッタニパータ611

第三 大いなる章

〈九、ヴァーセッタ〉

611 身をけた生きものの間ではそれぞれ区があるが、人間の間ではこの区別は存在しない。人間のあいだで区別表示が説かれるのは、ただ名称によるのみ。

中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた
区別――vokāra(=nānattavidhāna.Pj.p.466).

以上註記より引用した。

スッタニパータ610

第三 大いなる章

〈九、ヴァーセッタ〉

610 手についても、足についても、指についても、爪についても、すねについても、ももについても、容色についても、音声についても、他の生類の中にあるような、生れにもとづく特徴(の区別)は(人類のうちには)決して存在しない。

中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた

生類には生れに基づく特徴の区別はあるが、人類のうちには、これらの区別は「決して存在しない」。

ブッダの優しさ、大いなる慈しみを深く感じる宣言であります。

涙が止まりません。

どのような立派な話よりも、このお経は、心を強く打ちます。

涙が止まりません。

人類には、区別はない。

区別のないものを差別して見ている我々に対して、強力なパンチであります。

人類の平等宣言をブッダはこの世界ではじめて唱えられました。

本当に2500年前のことでしょうか?

 

涙が止まりません。

声高らかに吼えられたのではありません。

静かにしかし力強く、静かに話されました。

「生れにもとづく特徴の区別は、人類のうちには決して存在しない。」

今日のブッダの声が

今までで、一番効きました。

南無釈迦牟尼仏。