日別アーカイブ: 2017年8月26日

スッタニパータ627

627 明らかな智慧が深くて、聡明で、種々の道に通達、最高の目を達した人、──かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。

中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた
『ダンマパダ』第四〇三詩に同じ。
種々の道に通達し――「これは悪い所におもむく道である」「これは善いところ(善趣)におもむく道である」「これはニルバーナにおもむく道である」「これは道ならぬものである」というふうに、道と道ならぬこととについて巧みに熟知していること(Pj.p.468)である。

最高の目的――uttamattha.パーリ文註解によると、真人の境地(arahatta 阿羅漢果)であるという。
以上註記より引用した。

善趣は善道ということです。俗に「ええとこに生れ変る」そのええとこでありまして、天上、人間、修羅の三つがあります。悪趣は悪道で地獄、餓鬼、畜生の三つです。六道輪廻というのはぐるぐると六つの道を生まれかわることをいいます。

このことを知っているだけなら種々の道に通達しているとはいえません。そんなものは単なる仏教的知識に過ぎません。因果ということを骨身に染みていなければ、因縁が見えないようでは、知識としての仏教マニアならいざしらず、仏教徒とは呼べません。善いことを行えば善いところに生まれ変り、悪いことを行えば悪いところに生まれ変わらなければならないという理法に貫かれているお互いです。このことは信じようが信じまいが例外なく誰にでも当てはまる道理であります。

証拠がなければ信じないでしょう。この証拠のことを証悟と申しまして悟りと呼んでいるわけです。世の道理が手に取るように見えたら、未来も過去も全部わかります。阿羅漢果というのは、もう二度と母胎に宿らない、どこにも生まれ変わらない存在になることです。仏教徒としての最高の境地です。地位や名誉などという安物ではありません。ブッダ釈尊はもちろん阿羅漢であります。大阿羅漢と尊敬します。ただし崇拝しているわけではありません。念のため。