スッタニパータ627

627 明らかな智慧が深くて、聡明で、種々の道に通達、最高の目を達した人、──かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。

中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた
『ダンマパダ』第四〇三詩に同じ。
種々の道に通達し――「これは悪い所におもむく道である」「これは善いところ(善趣)におもむく道である」「これはニルバーナにおもむく道である」「これは道ならぬものである」というふうに、道と道ならぬこととについて巧みに熟知していること(Pj.p.468)である。

最高の目的――uttamattha.パーリ文註解によると、真人の境地(arahatta 阿羅漢果)であるという。
以上註記より引用した。

善趣は善道ということです。俗に「ええとこに生れ変る」そのええとこでありまして、天上、人間、修羅の三つがあります。悪趣は悪道で地獄、餓鬼、畜生の三つです。六道輪廻というのはぐるぐると六つの道を生まれかわることをいいます。

このことを知っているだけなら種々の道に通達しているとはいえません。そんなものは単なる仏教的知識に過ぎません。因果ということを骨身に染みていなければ、因縁が見えないようでは、知識としての仏教マニアならいざしらず、仏教徒とは呼べません。善いことを行えば善いところに生まれ変り、悪いことを行えば悪いところに生まれ変わらなければならないという理法に貫かれているお互いです。このことは信じようが信じまいが例外なく誰にでも当てはまる道理であります。

証拠がなければ信じないでしょう。この証拠のことを証悟と申しまして悟りと呼んでいるわけです。世の道理が手に取るように見えたら、未来も過去も全部わかります。阿羅漢果というのは、もう二度と母胎に宿らない、どこにも生まれ変わらない存在になることです。仏教徒としての最高の境地です。地位や名誉などという安物ではありません。ブッダ釈尊はもちろん阿羅漢であります。大阿羅漢と尊敬します。ただし崇拝しているわけではありません。念のため。

 

正道

正道 について

禅僧。 福井県敦賀市出身。 滋賀県高島市マキノ町に「大慈観音堂」建立中です。 猫好き、音好き、話好き。 モットーは「正月道路」人生は旅修行。

スッタニパータ627」への2件のフィードバック

  1. 昨日は先輩のご尊父のお通夜でした。ピンピンコロリの94歳との事でした・・
    真宗のお寺の名前は忘れましたが、そこのご住職の法話が始まりました。亡くなった方はみな仏になって行くんだというアリガタイお話です。静かに始まってそろそろ終わりかな?ん?ご住職の声はだんだん高まって行き、マイク音量もMAX、、
    あ〜、これは自己陶酔に入って来たな、観客(失礼、ご参列者)も上手く引き込んだと思っているんだろうな、、長い、ん〜ん、長すぎる、、
    最後に「亡くなった方は無言で教えてくれているのです」
    オチかいな。
    案の定、帰りの参列者は口々に「長かったなぁ・・」残念ながら長いことしか頭に残らないのです。
    お若いご住職で、お話はとても上手でしたのに・・・
    まあ、年寄りのたわごとですが・・

    1. 耳に痛い法話をありがとうございました。
      心に残る説法は短くても内容が深い。
      自己陶酔しがちなんですよね、特に自分で上手いと思っている人は。
      さあて、今度は私の番です。

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