スッタニパータ629

629 強くあるいは弱生きものに対して暴力を加えることな、殺さず、また殺させることのない人、──かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。

中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた
『ダンマパダ』第四〇五詩に同じ。
 
強く或いは弱い――この表現の原語は第一四六詩にも出ている。ジャイナ教でも同様にいう。「動く生きものでも動かない生きものでも悉く知って、三つのしかた(心とことばと身体)のいずれによっても(生きものを)害しない人――かれをわれらは〈バラモン〉と呼ぶ」(Utt.ⅩⅩⅤ,23)。

生きものに対して暴力を加えることなく――ジャイナ教聖典にも同じ文句が出てくる(nihāya daṇḍaṃ pāṇehiṃ.Āy.I,8,3,1)。
 
以上註記より引用した。

強い生きものに対しては、怒りの感情で暴力を加えることがあります。また、弱い生きものに対して、蔑みの感情で暴力を加えることがあります。こうした暴力を振るわないことが慈しみ(優しさの行動)であることは申すまでもありません。

ブッダは、これまでに述べたような超人的な人格を全て持ち合わせていることを期待してはいません。いずれか、一つでもこれを全うしているものが真のバラモンであると述べられているのであります。

今日の言葉は、やろうと思えば誰にでもできる仏道であります。アリ一匹、ネズミ一匹、蚊を手で殺さないことは誰にでもできます。ただしほとんどの人は馬鹿にしてしません。本当に腹の据わった人でないかぎり、言葉の上っ面を適当になぞるだけです。殺さず、また殺させないことがいかに大変なことであるか、真に得心した人でなければ実行できないのです。

ブッダの言葉を言葉として受け止めれば、単なる理屈で終わります。そうではなくして、言葉の意味を受け止めようと、一言も聞き漏らすまいとして真剣勝負で聴いている人は果たしてどれだけおられるでしょうか。自分に都合のいいところは、評論家よろしく、いい話だと持ち上げ、自分に都合が悪い話は、棚に上げて、そんなこと出来っこないと決めつけています。

誰のことでもありません。吾が事であります。このスッタニパータであれ、ダンマパダであれ、本を買ってチラッと読んだぐらいで、何もわかりません。わかったような気になっているだけです。憎まれ口を叩くようで恐縮ですが、ブッダの言葉を単なる活字として馬鹿にしているようでは、どれほど立派な信念をお持ちでも砂上の楼閣です。崩れるときには一気に崩れるということを肝に銘じておいて下さい。

和訳であろうがネット上の原語であろうが、これは経典なのであります。ここを間違わないでいたいものです。

正道

正道 について

禅僧。 福井県敦賀市出身。 滋賀県高島市マキノ町に「大慈観音堂」建立中です。 猫好き、音好き、話好き。 モットーは「正月道路」人生は旅修行。

スッタニパータ629」への2件のフィードバック

  1. 見るともなしにBS点けたら、猿の惑星のラストシーン。海岸に傾いて胸まで砂に埋まったあの自由の女神です。チャールトン・へストンがそれを見つけて愕然とし、砂を両手で叩きながら「馬鹿者どもよ!」
    悔やんでも悔やみきれない人間への怒り、、猿の長老が行かないほうがいいと言ったわけです。
    「馬鹿者ども」にならぬよう、今更ながら教育の大切さ怖さを思う次第であります・・・

    1. 誠にその通りであります。猿の惑星の第1作目ですね。子供の頃の衝撃は今も鮮明に覚えております。
      何度かテレビ等で再放送を見かけますが、あのラストシーンはあのままラストであってほしいと何度思ったことかわかりません。
      地球に戻っていたことに気づいたのではなく、人間の奢りに気づいた。
      人間の方が二千五百年ほど戻るべきなのかもしれません。

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