日別アーカイブ: 2017年8月31日

スッタニパータ631

631 芥子粒けしつぶきり尖端せんたんから落ちたように、愛著あいじゃく憎悪ぞうおと高ぶりと隠し立とが脱落した人、──かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。

中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた
『ダンマパダ』第四〇七詩に同じ。
 
芥子粒が……――ジャイナ教でも同様にいう。「磨かれた金のように汚れや悪を払い落し、愛著と嫌悪と恐怖とを離れた人、――かれをわれらは真のバラモンと呼ぶ」(Utt.ⅩⅩⅤ,21)
cf.MBh.Ⅲ,206,33. またこの第六三一ā詩に数え立てられている煩悩はジャイナ教のそれに近い。ジャイナ教では煩悩として rāga,dosa(dvesa),moha,annāṇa(=ajñāna)を挙げている(Utt.ⅩⅩⅤⅢ,20)。

隠し立て――makkha 註(Pj.)によると,他人の美徳を隠すこと(paraguṇamakkhaṇa)。パーリ文註解にも(ad Dhp.407)にも他人の美徳を隠すことと解している(paraguṇamakkhaṇalakkhaṇo makkho)
(paraguṇamakkhaṇa.Pj.ad Sn.631)。
しかし仏教一般では自分のあやまちを隠蔽することをいう。漢訳では「覆」という。Skrt.mraksa(『倶舎』論四巻七丁右、Abhidhatmakosa Ⅱ,27)(『倶舎論』二一巻四丁左、Abhidhatmakosa V,49).

以上註記より引用した。

この頁を最後に長らく更新していません。

もちろんスッタニパータはまだまだ続きますが、少しお休みを頂いております。

マイクロサンガにも拠点が出来まして、今新たなプロジェクトの開発に取り組んでおります。たくさんのご奉仕やお布施あるいは備品のご寄贈まことにありがとうございます。この場を借りて厚く御礼申し上げます。

さて、本詩は永平寺ご開山の大悟の提唱である「身心脱落」という解脱の瞬間を想起いたします。

身心脱落という一言に無数のさとりが込められております。

これは修行の完成であると同時に結論中の結論でありまして、もう「身心脱落」の言葉の前には何も申し上げることがありませんし、できません。

もうしばらく本詩を味わい尽くしてみたいと思っております。