カテゴリー別アーカイブ: スッタニパータ

最初期の仏典。釈尊ブッダの説かれた言葉に最も近いとされる。

スッタニパータ621

第三 大いなる章

〈九、ヴァーセッタ〉

621 すべての束縛そくばくち切り、おそれることなく、執著を超越して、とらわれることのない人、──かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。

中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた

 

スッタニパータ620

第三 大いなる章

〈九、ヴァーセッタ〉

620 われは、(バラモン女の)はらから生ま(バラモンの)母から生まれた人をバラモンと呼ぶのではない。かれは〈きみよ、といって呼びかける〉といわれる。かれは何か所有物の思いにとらわれてい。無一であって執著しゅうじゃくのない人、──かれをわたしは〈バラモン〉と呼ぶ。

中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた
『ダンマパダ』第三九六詩に同じ。cf.Sn.1063.

われは、(バラモン女の)胎から生まれ……――ここの二十八の詩句は『ダンマパダ』第三九六―四二三詩に同じ。最初期のジャイナ教聖典でも理想の修行者をバラモン(baṃbhaṇa)と呼んでいる(Utt.XXV,vv.19-29,33,34)。また開祖マハーヴィーラをバラモン(māhaṇa=brāhmaṇa)と呼んでいる(Suy.I,2,1,v.15)。

きみよ、といって呼びかける者――バラモンのこと。バラモンは互いに他人に向って、「きみよ」(bho)という語を以て呼びかけるからである。さらに原始仏典を見ると、バラモンはゴータマ・ブッダに向って「きみよ!」(bho)といって呼びかけている。ゴータマ・ブッダに対して特別の尊厳を払っていないのである。
かれは何か所有物の思いにとらわれている――sakiṃcana.情欲(rāga)などを所有していることであるとパーリ文註解(ad Dhp.396)は解するが、しかし原義は、自分が財産や名声など何ものかを所有していると思いなすことを言うのであろう。

無一物――akiṃcana.何物をも所有しないこと。本書では特に強調されている。第一七六四五五四九〇五〇一、六四五、一〇五九、一〇九一、一〇九四詩参照。パーリ文註解(ad Dhp.397)には情欲(rāga)などを所有しないことと解するが、語釈としては適切でない。
以上註記より引用した。

スッタニパータ619

第三 大いなる章

〈九、ヴァーセッタ〉

619 人間のうちで村や国を領有する者あれば、
かれは王であって、バラモンではないと知れ。ヴァーセッタよ。

中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた
人間のうちで村や国を領有する者が……――叙事詩でも同様にいう
(MBh.Ⅲ,207,26f.)。

以上註記より引用した。

スッタニパータ618

第三 大いなる章

〈九、ヴァーセッタ〉

618 人間のうちで司祭しさいの職によって生活する者あれば、かれは司祭者であって、バラモンではないと知れ。ヴァーセッタよ。

中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた
人間のうちで司祭の職によって生活する者が……――叙事詩でも同様にいう
(MBh.Ⅲ,207,24)。

以上註記より引用した。

スッタニパータ616

第三 大いなる章

〈九、ヴァーセッタ〉

616 人間のうちで盗みをして生活するがあれば、かれは盗賊であって、バラモンではないと知れ。ヴァーセッタよ。

中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた
盗みをして生活する者――adinnaṃ upajivati.直訳すると、「人から与えられない物で生活する者」。
古代インドでは、盗賊が一種の職業と見なされていた。そうして盗賊と国王とは並べて挙げられている。どちらも良民から暴力を以て何ものかをゆすり取るからである。

以上註記より引用した。

 

 

スッタニパータ615

第三 大いなる章

〈九、ヴァーセッタ〉

615 人間のうちで他人に使われて生活する者があれば、かれは傭人やといにんであって、バラモンではないと知れ。ヴァーセッタよ。

中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた

お知らせ

昨日、大慈観音堂の建設予定地を師匠老師が視察されました。

その足で、

地元の曹洞宗常榮寺様へ師匠と理事長と共にご挨拶に参りました。

また地元区長様宅へご挨拶に上がりました。

もう、後には戻れません。

起工式の日取りも8月17日と決まりました。

忙しくなります。

スッタニパータ614

第三 大いなる章

〈九、ヴァーセッタ〉

614 人間のうちで売買をして生活する人あれば、かれは商人であって、バラモンではないと知れ。ヴァーセッタよ。」

中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた
人間のうちで売買をして生活する人が……――叙事詩でも同様にいう(MBh.Ⅲ,207,24)。

以上註記より引用した。

勘違いしてならないのは、バラモンが優れていて商人が劣っているということを言っているのではないことです。昨日までの農夫や職人、これからも同様であります。

商人とは、売買をして生活する人のことだと言っているのです。名称、肩書、地位、職業など人々を区別表示するのは、ただ名称によるのみであるということを延々と説明します。なぜ類似の事例を列挙するのかといえば、例外はないということを間接的に示しているのであります。

スッタニパータ613

第三 大いなる章

〈九、ヴァーセッタ〉

613 人間のうちで、種々の技能によって生活する人があれば、かれは職人であって、バラモンではないと知れ。ヴァーセッタよ。

中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた

人間の違いは、ただ名称・呼び名だけであることを繰り返し例をあげて説かれています。

人々をそれぞれ思い出してみると、それぞれの職についていたり、様々な立場であることがわかります。

かれらのほとんど全てがバラモンではありません。もちろんブッダの定義するバラモンは、生まれつきのバラモンではありません。

バラモンではない人々を列挙して、バラモンとはどういう人間であるかを浮かび上がらそうとされているようです。しかし、ブッダの話はそう単純ではありません。

わたしには人々に生き方を問うておられるような気がしてなりません。

この受け止めは異常かもしれませんが、どこに導いて行かれるのであろうかと、次第に気になってまいりました。今暫く読み続けてまいりましょう。人によって受け止めが大きく違うことが、あらためて理解されていくものと存じます。

スッタニパータ612

第三 大いなる章

〈九、ヴァーセッタ〉

612 人間のうちで、牧によって生活する人があれば、かれは農夫であって、バラモンではないと知れ。ヴァーセッタよ。

中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた
牧牛――原文には牧牛(gorakkha)とあるが、しかし註には「田をまもること」(khettarakkha )、「耕作」(kasikamma)と解す。

人間のうちで、牧牛によって……――以下の諸階級については『メガステネース断片』第四一及び叙事詩(MBh.Ⅲ,207,24-25)参照。

以上註記より引用した。