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スッタニパータ429

第三 大いなる章

〈2.つとめはげむこと〉

429つとめはげむ道は、行きがたく、行いがたく、達しがたい。」この詩を唱えて、悪魔は目ざめた人(ブッダ)の側に立っていた。

中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた

ナムチの最後通告は、説得力に満ち溢れています。けだし「行き難く、行い難く、達し難い」とはあっぱれな言いようであります。この「行き難く」というのは、原語でduggoですから難路つまり赴きにくいほどの意味です。ようするに努め励む道は、歩み出すことも、歩み続けることも、到達することも困難であると言っているわけです。これは一般的かつ現実的な理解といっていいでしょう。

ナムチ君は、人間の本質を充分理解しています。普通の人間はイチコロでありましょう。「精励」と口でいうのは簡単ですが、なかなかどうして出来るものではありません。彼に説得されたら私などは「その通り」と思わず膝を打っていたに違いありません。彼はブッダの傍らに立っていました。坐って修行しているゴータマ菩薩を見下ろし、どうだと言わんばかりで勝ち誇るように立っていた。そんな情景が手に取るように見えます。多くの人は自分を基準に物事をとらえます。陰口にしても面と向かって話すことも、全部自分が基準です。善いことをしようとしていても、悪いことをしていても、常に「やめておけ」なのです。自分を高い棚の上にあげて、偉そうに物知り顔で語ります。上から目線ぐらいは可愛いものですが、良い人なんて世の中にはほとんど居ないのが現実です。強いて申せば、ほんのわずか良いところもあるのが実態です。他人の悪口を言う人は、決まって付け加えます。根は悪い人間じゃないんだけどね。当り前です。根っからの悪人なんてそうざらにはいません。悪魔と呼ばれているナムチ君を見てご覧なさい。彼ほど人間らしい奴はいません。馬鹿正直者です。

今日からが 仕事初めの 世間なり (月路)

こんな記事を書いていながら言うのも変でありますが、人の悪口や陰口を聞いた時あるいは面と向かって罵倒されたときや注意されたときに感情を顔に出さないでいられる人をある意味尊敬しているのですが、鉄面皮ならともかく、ポーカーフェイスで微笑んでおられるほど人間は出来ておりません。いわゆる我慢や忍耐というものは限度があります。テメエ何様だと思ってるんだ。お互い様。だとは思いますが、何を言われても腹が立たない人間はもう人間じゃありません。腹の底では怒っているのに顔に出さないのならまだしも、この感情をコントロールする術というものを身に着けなければならないのが、昔からのわたしの課題です。

そこで効果的なのが、「こだわらない、とらわれない、カッパえびせん」という呪文です。昨日やってみました。こころの中で。何もカッパえびせんが好きなわけではないのですが、思わず心のなかで笑って済ませます。考えるまでもなく、どうでもいいことですし、他愛のない人間が相手です。ブッダには遠くおよびませんが、ナムチかキムチか知りませんが、一々反応するほどの相手ではありませんから、適当にうっちゃっておけば宜しい。虚心坦懐。こころに何のわだかまりもないこと。泰然自若。なんでもいいのです。およそ宇宙規模で考えたら塵にも満たない。永遠の時間感覚で100年もすれば、みんな骸骨。よき隣人。かわいい人ばかりです。そうやって人間やってる。友達。すべて許してしまえる。書きなぐっておりますが、だれかの参考になればと思っています。どうか、クダランことで、いまある命を捨てんで下さい。そう、こころから願っています。一おっさんより。涙。無。

♪がいこつが、まじめな顔して、こう言った。どうせ、みんなみんな、くたばって、おいらみたいになっちまうんだから、せめて、命のあるあいだ。つまらぬことにクヨクヨしないで大事に大事に使っておくれよ、一度しか無い、おまはんの命♪ 岡林信康。骸骨の歌より。

つとめはげむ道は、行きがたく、行いがたく、達しがたい。」この詩を唱えて、悪魔は目ざめた人(ブッダ)の側に立っていた。