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スッタニパータ140

第一 蛇の章

<7、賤しい人>

140 ヴェーダ読誦者の家に生まれ、ヴェーダの文句に親しむバラモンたちも、しばしば悪い行為を行なっているのが見られる。

〈中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より〉


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた

この詩句には解説がありません。まさしく解説不要でしょう。ヴェーダ読誦者の家というのは、最上級のバラモン階級の家柄です。日本でいえば公家・貴族といったところでしょうか。ヴェーダの文句というのはヴェーダ聖典のことです。昔から伝わった神々の言葉といってよいでしょう。バラモンの家に生まれたバラモンがヴェーダを読誦していても、しばしば悪いことをしているというのです。

つぎの詩句ではそのバラモンが死んでどこに生まれるかということをリアルに説いています。これは例え話で道徳を説いているようなレベルではありません。究極の悟りを開かれたブッダの言葉であります。実際に人間は生まれ変わること、すなわち輪廻転生を明確に肯定しています。輪廻転生という前提があって、普通は普通の人間は生まれ変わるが、そこから悟りを得て、蛇が脱皮するように、輪廻から解脱しなさいというのがブッダの教えです。善因善果、悪因悪果は当り前なのです。

ヴェーダ読誦者の家に生まれ、ヴェーダの文句に親しむバラモンたちも、しばしば悪い行為を行なっているのが見られる。

スッタニパータ136

第一 蛇の章

<7、賤しい人>

136 生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。

〈中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より〉


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた

行為によってバラモンともなる――ジャイナ教でも同様のことをいう。と註にありました。

この詩句は、スッタニパータを代表する詩句と申し上げてもよいでしょう。それほど有名な言葉でありますし、またブッダの言葉ブッダの生の声が聞こえるようであります。簡潔な言葉の中に仏教の価値、仏教の本質が見事に表現されております。

われわれはややもすると、誰が言ったのか、誰の著作か、だれの言葉かといった出典というか出所を問いただします。どこの誰だ有名な人か著名であるか、いわばブランドを気にいたします。これはこれで重要なことなのですが、何を為しているか、実績はどうなのかということをを過度に気にして、もっとはっきりいえば自分のことは棚に上げて、まるで評論家のように人の言葉なり行動を論じていることが多いものです。かく申している私どもが陥りやすい盲点であります。

賤しい人を指差しながら自己を振り返る。はたして自分の行為はどうなのか。「人の振り見て我が振り直せ」とは、誰の言葉であろうと、素晴らしい言葉であります。

生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。

スッタニパータ116

第一 蛇の章

<7、賤しい人>

わたしが聞いたところによると、──あるとき師(ブッダ)は、サーヴァッティーのジェータ林、〈孤独な人々に食を給する長者〉の園におられた。そのとき師は朝のうちに内衣を着け、鉢と上衣とをたずさえて、托鉢のためにサーヴァッティーに入った。
そのとき火に事(つか)えるバラモン・バーラドヴァージャの住居には、聖火がともされ、供物がそなえられていた。さて師はサーヴァッティー市の中を托鉢して、かれの住居に近づいた。火に事えるバラモン・バーラドヴァージャは師が遠くから来るのを見た。
そこで、師にいった、「髪を剃った奴よ、そこにおれ。にせの〈道の人〉よ、そこにおれ。賤しい奴よ、そこにおれ」と。
そう言われたので、師は、火に事えるバラモン・バーラドヴァージャに言った、「バラモンよ。あなたはいったい賤しい人とはなにかを知っているのですか? また賤しい人たらしめる条件を知っているのですか?」
「ゴータマさん(ブッタ)。わたしは人を賤しい人とする条件をも知っていないのです。どうか、わたしが賤しい人を賤しい人とさせる条件を知り得るように、ゴータマさんはわたくしにその定めを説いてください。」
「バラモンよ、ではお聞きなさい。よく注意なさい。わたくしは説きましょう。」
「どうぞ、お説きください」、と火に事えるバラモン・バーラドヴァージャは師に答えた。
師は説いていった、

116 「怒りやすくて恨みをいだき、邪悪にして、見せかけであざむき、誤った見解を奉じ、たくらみのある人、──かれを賤しい人であると知れ。

〈中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より〉


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた
賤しい人――vasala.outcasteといわれ、インドのどの階級にも属さない最も卑しい人々をいう。同じ語が『マヌ法典』でも用いられている(vrsala)。なお賤民のことは『マヌ法典』第10編第12、16、26詩に出ている。
髪を剃った奴よ――mundaka!「剃髪している者よ」の意。
そこにおれ――剃髪した修行者が神聖な火に近づくと、火が汚されると思ったのである。
見せかけであざむき――makkhi.
第56詩に対する註記参照

「バラモンよ、ではお聞きなさい。よく注意なさい。わたくしは説きましょう」と言ってから、ブッダは「賤しい人」を説きはじめます。新しい節の始まりです。これから具体的に二十の「賤しい人」が説かれます。そして136詩に至ります。この詩は有名な詩であると同時に、ブッダの生の声そのものであり、ブッダの教え(仏教)の真髄と言えます。あらかじめここに掲げておきます。もはや説明は不要と存じます。では、よく注意してお聞きください。

136生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。