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スッタニパータ626

626 すでにこの世において自己の苦しみの滅びたことを知り、重荷おもにをおろし、とらわれのない、──かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。

中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた
『ダンマパダ』第四〇二詩に同じ。
『ウダーナヴォルガ』三三・二七(岩波文庫『ブッダの感興のことば』二九八頁)参照。
とらわれのない人――visaṃyutta.

以上註記より引用した。

自己の苦しみが滅びるということは、この世において何の憂いもないということであります。つまり「解脱」していることを自覚できる状態と申せましょう。人生は楽しいことばかりではありません。辛いことも悲しいこともあるのが普通であり、何の悩みもない人がいるとは到底思えないことでしょう。

ところが「重荷をおろし、とらわれのない人」になれば、すなわちあらゆる責任ある立場を離れれば、自由になれるわけです。束縛を自ら解き、何にもとらわれないで生きることができます。いわば「無責任」な状態になることは、普通できません。家族や職場あるいは義理人情を大事に思えば、自由など夢のまた夢かもしれません。

「生活費はどうするの?どうやって食べていくの?」こうした思いがあることは、世間では至って健全な考え方ですし、社会人としての基本であります。在家というのは、責任ある立場の人ということです。そして本来の出家者というのは、大変非現実的ではありますが、無責任な立場の人ということになります。反社会的な風に思われることでしょうが、ブッダの本来の教えは「解脱」することにあります。ここらへんを曖昧にしますと、仏教というものが途端にわからなくなってしまいます。単なる倫理・道徳を教えているのではありません。いや、道徳を教えるのであれば、わざわざ仏教と申すまでもなく、道徳で良いのであります。

スッタニパータ532

第三 大いなる章

〈6.サビヤ〉

532 内面的にも外面的にも執著の根源である諸々の束縛を断ち切り、一切の執著の根源である束縛からのがれている人、──そのような人が、まさにその故に〈育ちの良い人〉と呼ばれるのである。」

そこで、遍歴行者サビヤは師の諸説をよろこび随喜し、こころ喜び、楽しく、嬉しく、欣快の心を生じて、さらに尊師に質問を発した。

中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた

一般に、生れ育ちの良い人というのは出自というか血統や家柄で言うことが多いのは今も昔も変わりません。当時はカーストなどの身分制度が厳格でしたから当然にその線で回答がなされると思われたことでしょう。ところが、ブッダは全く別の観点で理法を説かれました。今回の4つの質問に対する4つの回答のうち、今日のこの詩句はまとめでもあります。繰り返しになりますが、生れ育ち(家)を離れた人が、まさにその故に、生れ育ちの良い人、つまり高貴な人、選ばれし人であると説かれたのであります。

解脱するには

生れ育ちというのは、執著の根源である諸々の束縛ということです。これを象徴してと言っているわけです。外面的な家というのは、環境ということです。認識の対象といってもいいでしょう。内面的というのは感受と認識であります。これは今までさんざん学んできましたから繰り返しません。この束縛を断ち切り、一切の執著の根源である束縛からのがれている人。すなわち解脱した人。出家するというのは、外も内も家という束縛から脱出することであります。執著というとらわれから脱するには、束縛を解くほかにありません。解き脱することから、解脱げだつと呼ばれております。解脱するには執著しないこと。それは束縛を断ち切り、束縛から脱することであると説かれているのであります。束縛からのがれることなくして、執著を離れることはまことに困難であります。まさにここを適確に突いておられます。

一番や花の名所は多けれど(月路)

あっという間に花が散りましたが、ここ西吉野のお寺の桜が一番です。昨日は高田までバーベキュー用のお肉を書いに出かけました。檀家さんの差し入れです。ありがたいことです。道道すっかり散り終わった桜。葉桜となった町々を抜けて、お寺に帰ってきました。吉野は見事でしたが、桜の木の多さからいえば世界一かもしれませんが、ここの枝垂れ桜は満開。我が家が一番。みんなそうでしょう。どこへ出かけていっても、帰ってくるところが一番落ち着きます。まるでお帰りなさいと言わんばかり。ただいま。だれに告げるというより、だれも聞いていませんが、只今。「ただ今」しかありません。お後がよろしいようで。

内面的にも外面的にも執著の根源である諸々の束縛を断ち切り、一切の執著の根源である束縛からのがれている人、──そのような人が、まさにその故に〈育ちの良い人〉と呼ばれるのである。」

 

スッタニパータ464

第三 大いなる章

〈4.スンダリカ・バーラドヴァージャ〉

464 諸々の欲望を捨てて、家なくして歩み、よくみずからを慎しんで、梭のように真直ぐな人々、──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた
第四六四、四六五詩は第四九七、四九八詩に同じ。
 
以上註記より引用した。

梭(ひ)については第二一五詩を参照して下さい。機織りの縦糸に対して横糸を通すときに使われる道具(シャトル)のことです。

欲望を捨てる。あっさりと説かれていますが、これは口でいうほど簡単なことではありません。だいたいそういう人に、お目にかかったことがありません。自身を振り返ってみても欲望だらけです。欲望はしばしば煩悩と呼ばれますが、何のことはありません。普通の人の普通の感情です。感情のほとんどが欲望です。ああしたい、こうしたい、嫌だ、好きだ、暑い、寒い、冷たい、熱い、何もしたくない、眠い、疲れた、あらゆる欲望とはこうした気持ちのことです。あらためて申し上げるまでもありませんが、気持ちを捨てるということは、感情を殺すことではなく、さっと離れることです。

欲望の対象にとらわれない。見たまま聞こえたまま感じたままの感覚にこだわらない。こんなことが果たして可能でしょうか。可能です。家という一番気持ちが表れている欲望の具体的な対象から離れて住むこと。たとえば、豪邸や高級マンションをイメージしてください。こうした住まいに住みたいと思ったから、そこに住んでおられる。またそれを買ったり借りておられる。気持ちが表れているのが現在の生活です。これも当然のことですが、あっさりとその思い、気持ちを捨てれば、家から離れることは実に可能です。可能ではありますが、これがなかなか至難です。

そういう気持ちを捨て、家から離れて歩み、よく自らを慎んでいる人々にこそ、供物をささげなさい、と。それは梭のように真っ直ぐな歩みを続けている人々、つまり修行者にこそ供物をささげる、供養しなさいという意味です。例によって、もし貴方が功徳を求めて祭祀を行うのであれば。と続きます。

これは明確にブッダがバラモンを試しておられるところだと思います。解脱を求めて出家し慎ましく生活している修行者に供養をささげなさい。それが祭祀を行う在家の勤めですと言わんばかりです。事実そう繰り返し説いておられる。祭祀を祈りと言い換えてもよいと思います。これからも供物をささげ祈りを続けるのであれば、その供物は立派に修行されている人々に捧げなさい。出家者に在家者が供養する、それは善きことなのです。そういう生き方ももちろんありますよ、と。

風強し幡が纏わる雪が飛ぶ(月路)

夜中にお腹がすいて目が覚めました。観音様ののぼり幡が千切れんばかりに風にあおられています。あれは風が動いているのか、幡が動いているのか。ある人は自分の心が動いているのだと言われた、という大河ドラマの一シーンが、なぜか腹減ったという夢でした。まったく意味がわからないのが夢ですが、欲望とか、気持ちというのも夢の様なものではないでしょうか。つじつまというか、理路整然とはいきません。結局、気持ち。この不可解な気持ちとまだ当分付き合うことになりそうです。

諸々の欲望を捨てて、家なくして歩み、よくみずからを慎しんで、梭のように真直ぐな人々、──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

スッタニパータ424

第三 大いなる章

〈1.出家〉

424 諸々の欲望には患(うれ)いがあることを見て、また出離こそ安穏(あんのん)であると見て、つとめはげむために進みましょう。わたくしの心はこれを楽しんでいるのです。」

中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた
諸々の欲望には患(うれ)いがあることを見て……――第一〇九八詩参照。

1098 師(ブッダ)は答えた、「ジャトゥカンニンよ。諸々の欲望に対する貪りを制せよ。──出離を安穏であると見て。取り上げるべきものも、捨て去るべきものも、なにものも、そなたにとって存在してはならない。
 
以上註記より引用した。

出家の姿、外観は普通の人々と何も変わりません。立派な衣を着ているとか、僧侶としての高い地位に在るとか、修行年数であるとか、どこのお寺の住職であるとか。そういう外観は全く何も関係ありません。これは内面の問題であります。当り前ですが、これをわかっていない、わかろうともしない人々が適当に批評しているだけであります。出離というのは、とらわれから抜け出し、こだわりから離れることです。形だけ出家したとしても、この出離という安穏を知らなければ、もったいない極みであります。

一言で申せば、普通の人々は一日中妄執で過ごすのです。あの人はああ言った。この人がこう言った。そんなどうでも良いことにうなされながら、ああでもない、こうでもないと妄想をめぐらし、どうしよう、こうしようと執著して一日を過ごしています。疲れないはずがありません。そういう物事を一々取り上げていたら、どんどん欲求不満が溜まりに溜まって、捨てるに捨てられないゴミのようなものが頭にいっぱい溜まってまいります。心のゴミ屋敷を自分でつくっています。取り上げるべきものも、捨て去るべきものも何もない。ガランとした心のなかにする。いわば心の断捨離を進めることが、つとめはげむこと、つまり精進、努力なわけです。こんな具体的なことはありません。

精神論という言い方があります。心の内面を皮肉った、とても嫌な言い方があります。そういう人に限って、自分は完全でありリアルスティックであると本気で考えています。現実が現実でないとは申しません。また現実は現実だとも断言できません。何が平安で平穏なのかを突き詰めれば、出離以外にないのであります。何をしていても囚われない拘らない。誰から何を言われてもたじろがない。そういう不動の精神、安穏の境地。これを楽しむこと。これが出家の覚悟でなくして何でありましょうか。

こうなりたい。こう思われたい。わたしは間違っていない。これが最も大きな欲望なのです。自己への囚われ、自分自身が自分自身によって束縛されていること。さまざまな欲望には患い、憂いがあること。自分を苦しめているのは自分自身であること。これが憂い(患い)であることにいち早く気付いたものが出家するのであります。般若心経は全てを否定しています。ブッダの教えとされる四聖諦や八正道、十二因縁さえも「無」とします。これは無いという軽い意味ではありません。こだわらない、とらわれないということです。出離を無と表現したのです。理論武装に仏教をもってするなどは、以ての外であります。

わたしが「スーパー坐禅」を提唱するのは、こうした仏教者が陥りやすい、あるいはどっぷり浸かった完璧主義に、堂々と反旗を翻すものであります。あらゆる観念を捨てる。あらゆる権威から離れる。騒音の中で坐禅ができなければ、家族の声が飛び交う中で坐禅しなければ意味が無いのです。誰が何と言おうと、まるで仏像のように坐っている。寝ながらでも坐禅はできます。否、坐れない人が、あるいは寝たきりの方でも坐禅できなければ、意味がありません。やれ禅宗だ、仏教だという狭い了見で坐禅を捉えるのは、スタイルや格好、場所にこだわりすぎているからです。もう黙っていられません。

坐禅など 忘れてしまえと 暮晦日 (月路)

道元禅師は「普勧坐禅儀」と書かれた。これは誰にでも坐禅を勧めるというものです。年齢、性別、学歴、出自、宗教宗派、思想に関係なく、坐禅しましょうと仰ったではないか。坐禅と出離は同じ意味です。出離を楽しむことと坐禅を楽しむことは全く同義です。何も考えないというのは、考えないということを考えるというものです。非思量は非思考のことです。思考ではない思考。それをどう実現するかを「工夫」といいます。一つにこだわれば、それがこだわりです。人それぞれの坐禅があっていいのです。銘々各自の坐禅なのですから。

諸々の欲望には患いがあることを見て、また出離こそ安穏であると見て、つとめはげむために進みましょう。わたくしの心はこれを楽しんでいるのです。」

スッタニパータ423

第三 大いなる章

〈1.出家〉

423 姓に関しては〈太陽の裔(すえ)〉といい、種族に関しては〈シャカ族〉(釈迦族)といいます。王さまよ。わたくしはその家から出家したのです。欲望をかなえるためではありません。

中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた
みずから「太陽の裔」と称していたのであるから、ここには太陽崇拝の痕跡が認められる。中世のインドの王家には、太陽の末裔と称する王家と、月の末裔と称する王家とがあった。
 
以上註記より引用した。

太陽の末裔というのはインド神話からきたもので、ゴータマという姓が神話のリシという聖賢の子孫だという極めて難解な話になりますから、ここではそういう学問的な話は脇において、釈迦族の王家の出身だと名乗ったということでいいでしょう。なお、日本には八百万の神々の神話がありますように、インドにも古来より数多の神々が伝承されています。太陽の末裔釈迦族、日本では天照大神の子孫が皇室と呼ばれているようなものです。

問題はその後です。その王家から出家したというのです。何不自由なく育ったが出家した。王位の継承者であったが出家した。王家では大変困るであろうが出家した。欲望を叶えるためではありませんと、きっぱり断言しています。これにはビンビサーラ王の方でカウンターパンチを食らったようなものでしょう。人には欲望がある。それは願望であったり希望であったり、はたまた熱望かもしれません。目的とか目標とか言葉は違っても、煎じ詰めれば全てが欲望といえば欲望であります。そうした世間一般の欲望から全て離れたのです。地位や名誉、財産を得ること、あるいは王位継承者としての権利義務の一切を捨てたわけです。

家族をも捨てた。世間から見れば最低です。普通は許されるものではありません。出家というのは命惜しさに出家するのならやむを得ないとされていますが、何かに失敗して責任をとって出家することもあったでしょうが、自分から何の問題もないのに出家するというのは、ただごとではありません。普通は考えられないことでありましょう。この時代には仏教がまだ成立していないわけですから、前例がほとんどなかったのではないでしょうか。後代にはブッダ釈尊の志を継承して、インドや中国の王族でも、日本の天皇家や貴族でも出家されていますが、当時バラモン階級以外の者が出家することは大きなタブーであったのです。

家いでて 帰ることなき 年の暮(月路)

ここはビンビサーラ王ならずとも次の言葉を待たざるを得ません。なにゆえ欲望を叶えるという人生の一大事をあっさり放棄したのか。王位を蹴ってでも求めたものは何なのか。それほど大事なことがあるのか。興味津々であります。欲望をかなえるためでないなら、いったい何があるというのだ。修行して何になる。そもそも出家とは何なのか。疑問がふくらみます。ああわからない。はやく言ってくれ。王はそう感じたに違いありません。なぜなら、出家する者の気持ちは出家しようと決めた者でなければ決して理解できないからであります。理屈では幾らでも納得もするでしょうが、評論家であれば見事に言葉で説明できるかもしれませんが、実際に出家した者から聞く言葉は、ともあれ実に単純なものでありました。

姓に関しては〈太陽の裔〉といい、種族に関しては〈シャカ族〉(釈迦族)といいます。王さまよ。わたくしはその家から出家したのです。欲望をかなえるためではありません。

スッタニパータ421

第三 大いなる章

〈1.出家〉

421 象の群を先頭とする精鋭な軍隊を整えて、わたしはあなたに財を与えよう。それを享受なさい。わたしはあなたの生れを問う。これを告げなさい。」

中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた
ビンビサーラ王の申し出は注目すべきである。マガダ国は、北方にあるヴァイシャーリー国(ヴァッジ族)やコーサラ国と争って、戦争をひき起したことがある。シャカ(Sākiya 釈迦)族はさらに北方に位置しているので、ビンビサーラ王がシャカ族の王子(釈尊)に対して軍事援助と経済援助とを申し出て、南北両方面から諸国を挟み打ちにしようとしたのである。この詩の文句の裏には、そういう意図が潜んでいる。

ところがゴータマはこの申し出を拒絶した。かれは世俗の世界を出て、出家修行者となっていたからである。いかなる説得もかれの決心を翻えさせることができなかった。

以上註記より引用した。

いよいよ本編のクライマックスが近づきました。じつはビンビサーラ王は、この修行者ゴータマの出自を知っていたのです。知っていながら問うのは調略の常套手段でありましょう。部下と予算を与えるから我が配下となりなさいと思惑を持って迫るのであります。まるで戦国時代の策略に似た申し出にブッダは毅然とその申し出を拒絶するのですが、その拒絶の態度が王の心を強く打ちます。

この節のテーマは「出家」であります。出家したものに還俗して武士とならないかというのですから、無謀というか無理強いでありますが、よくあることでもあります。来年のNHKの大河ドラマは「井伊直虎」ですが、彼女は女の身でありながら尼僧ではなく男僧(なんそう)として出家しています。それで還俗できた。つまり尼僧は還俗できないのですが、古来より現在でも事情があれば比較的簡単に還俗は認められます。わたしだって還俗しようと思えば、いつでも出来ます。それはともかく、「出家の覚悟」というものは、いったいどれほどのものであるかが問われているのです。

なぜ出家したのかという「発心」の原点が、これから釈尊の言葉として説かれます。ここに仏教の仏教たる所以が明示されるのです。否、決して還俗してはならない理由がここにあります。この原点を忘れてしまっては、二度と立ち上がれないほどの苦悩を味わうことになります。それほど重要なことのために、この長々とした前置きがあるとさえ思います。単に申し出を拒絶しただけではなく、ビンビサーラ王をして、仏教に恭順せしめた「ある理由」とは何か。それがこのお経の核心であります。こう書けば明日の詩句は絶対に見逃せませんでしょう。誰にとっても、これからの人生を生き抜く上で欠かすことができない基本的な命題であると申し上げておきましょう。

出家とは かくあるものと 餅をつき (月路)

お正月の餅や門松、しめ縄の準備を始めました。昨日は総代さんたちが山に入って松や竹を切り寺に持ってきてくださいました。餅は餅屋さんに頼みました。お供えの果物やお菓子も揃ってまいりました。ここでは松竹梅を束ねて門松にするとかで、梅はどうするのか知りませんが小枝を切る他ないでしょうね。果たして正月は無事迎えることができるやら。気がかりは老僧の容態ですが、こればかりは如何ともなりません。人の寿命というものは誰にもわかりません。年齢や境遇に関わりなく、命は大自然の摂理によって定められるものと承知いたしております。

世の中では、全身全霊ということをよく言うけれど、その時その時のできることを成し遂げていったらいいんや」北海道の中央寺に赴かれたときの宮崎禅師の言葉です。身体に不安を抱えながらも、いそいそとしておられる勇気に満ちたお姿であったことでしょう。

象の群を先頭とする精鋭な軍隊を整えて、わたしはあなたに財を与えよう。それを享受なさい。わたしはあなたの生れを問う。これを告げなさい。」

スッタニパータ407

第三 大いなる章

〈1.出家〉

407 出家されたのちには、身による悪行をはなれた。ことばによる悪行をもすてて、生活をすっかり清められた。

中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた

昨日述べましたように、在家のままでは修行は困難といえます。身による悪行、言葉による悪行、さまざまな誘惑、しがらみ。生活を清浄なものに切り替えることなど、まことに困難な道です。

では出家に踏み切れるかといえば、これもまた困難な場合が多いものです。自己の事情のみならず、家族をはじめとする人間関係や仕事の上で、容易に出家など口にさえ出来ないことでありましょう。

以前、本質的には出家と在家の二択しかないと申しました。ところが前例がありました。たとえば親鸞上人は自らを「非僧非俗」と位置づけました。半僧半俗ではありません。あくまでも僧に非ず、俗に非ずというスタンスです。お坊さん臭くない、俗っぽくないという軽いノリではありません。徹底して「非僧非俗」に徹しきられたものと拝察いたします。

このブログを続けながら申し上げるのも変ですが、わたし自身、あまり綺麗事が好きではありません。良いとか悪いとかではなくて、どうも綺麗事が多すぎる。好かんのです。もっと自分に正直でありたい。俗に居て俗に染まらぬ道はないものかと本気で考えています。

言い訳のようで見苦しいかもしれませんが、野伏(のぶし)という言葉をご存知でしょうか。野武士と同じ読みですが、意味は文字通り「野に伏せる(臥せる)」家を持たない暮らしであります。また山伏(やまぶし)と同じ修行者の意味もあります。

山に篭って仙人のように生きるのも結構ですが、わたしには無理です。何もならないとまでは申し上げませんが、それは多くの人々を導く道ではありません。聖道というのは、自己の修行の期間ばかりではありません。ブッダ釈尊は六年間誰よりも厳しい修行を行ってのち悟りを開かれました。独り悟りを得たのではなく、悟りを開かれたのであります。成道と申しております。まさしく道を完成されたのです。道路が完成したのですから、私たちはそこを通ればいいのです。

聖道は聖(ひじり)の道です。成道後の釈尊は終生人々と関わり続けたのであります。人々の暮らしぶり、世の現状をつぶさに見ながら、真理を説かれ続けました。法施と申しますが、野に在って流浪の旅ともいえる道、自らが切り開かれた仏道を歩み続けたのであります。一箇所に留まらず、行住坐臥を聖として過ごされました。

身の出家在家にこだわらず、心の出家などと気取らず、淡々とわだかまりなく生きる。野武士のような気楽さで、野伏(のぶし・のぶせ)として生きる。スタイルはどうあれ、一事を貫く。それが念仏であれ唱題であれ坐禅であれ、全ては同じことです。衆生済度。このことさえ忘れなければ、釈迦牟尼仏は、どこにいても己の心の中におわします。

修証義の最後の言葉。「謂(いわ)ゆる諸仏とは釈迦牟尼仏なり、釈迦牟尼仏是れ即心是仏(そくしんぜぶつ)なり、過去現在未来の諸仏、共に仏と成る時は必ず釈迦牟尼仏と成るなり、是れ即心是仏なり、即心是仏というは誰(たれ)というぞと審細(しんさい)に参究すべし、正に仏恩を報ずるにてあらん。」

「なにごとの おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」  西行法師が伊勢神宮で詠んだとされる和歌ですが、日本人なら誰もが納得の宗教観ですね。一介の野伏にもブッダ釈尊が生きておられることを誠に忝なく存ずる次第であります。

出家されたのちには、身による悪行をはなれた。ことばによる悪行をもすてて、生活をすっかり清められた。

スッタニパータ406

第三 大いなる章

〈1.出家〉

406 「この在家の生活は狭苦しく、煩わしくて、塵のつもる場所である。ところが出家は、ひろびろとした野外であり、(煩いがない)」と見て、出家されたのである。

中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた

煩悩という字は、煩わしく悩むと書きます。世間の中で修行を進めるのは至難の技かもしれません。仕事をはじめ、雑務が多いのはもちろん、家族や親戚、友人との付き合いなど、人間関係も複雑であれやこれやと心を煩わされる時間が多いと思います。

その点出家は自分のことだけを考えておればいい、非常に気楽な立場に見えるかもしれません。否、現実にそうなのですが、それと気づくのに時間がかかるかもしれません。あらかじめ出家の修行のやりやすさを意識しておかないと、何のための出家なのか訳がわからなくなるやもしれません。

正法眼蔵(12巻本)出家功徳(現代語訳)抜粋

龍樹菩薩が申されるには、確かに、「仏の教えでは、在家の戒に従えば天上界に生まれることも、菩薩の道を得ることも、また涅槃を得ることも出来るという。それならば、なぜ出家の戒を用いるのか。」と問われれば、

私は答えよう。在家の戒であれ出家の戒であれ、どちらも生死を解脱できるが、そこには難易の違いがある。在家には生業や様々な務めがあり、もし仏道に専心しようとすれば家業が廃れ、もし専ら家業に励めば仏道が疎かになる。そこで両方を取らず捨てずして仏法を実践しなければならない。これが難しい。

もし出家であれば、世俗を離れて世の煩いを断ち、専心に仏道修行するので容易なの である。また、在家の生活は騒がしく多忙であり、煩悩の起きる根源であり、多くの罪の集まる場所である。これらのことが 在家の仏道をはなはだ困難にしている理由である。

もし出家したならば、例えば 人が外に出て人気のない広い野原に座り、その心を一つにして 何も思い煩うことがないようなものである。心の煩悩は除かれ、世事からも離れ去っている様は、次の詩に説かれている通りである。

「静かに林間に坐して、安らかに自らの諸悪を滅ぼし、恬淡とした一つの心を得ている、この楽は 天上の楽に勝る。人は財産や地位、快適な生活を求めるが、これらの楽しみは安穏ではない。なぜなら、利益を求める心には際限がないからである。

僧は、質素な袈裟を着けて家々に食を乞い求め、日常 心を1つに整えている。自らの智慧の眼によって、すべての物事が真実であることを明らかに知り、仏の様々な教えの中に、皆等しく 身も心も投げ入れている。解脱の智慧の心は安らかで、この世に及ぶものはない。」
これによって理解されることは、出家して戒を修め仏道修行するほうが、在家の場合よりも 甚だ容易ということである。

道元禅師 正法眼蔵 現代訳の試みより引用した。

現代語に訳してみると、スッタニパータに書かれていることとほとんど変わりありません。出家でも在家でも解脱は可能であるが、たとえ志は高くとも、在家のままでは甚だ困難であるということです。これはきわめて当然のことを説かれているのですが、まさに道理でありまして現実的な理解であると存じます。

「この在家の生活は狭苦しく、煩わしくて、塵のつもる場所である。ところが出家は、ひろびろとした野外であり、(煩いがない)」と見て、出家されたのである。

スッタニパータ405

第三 大いなる章

〈1.出家〉

405 眼ある人(釈尊)はいかにして出家したのであるか、かれはどのように考えたのちに、出家を喜んだのであるか、かれの出家をわれは述べよう。

中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた
大いなる章――この章は、第四〇五頌から第七六五頌まで合計三六一頌ある。前の章が第二二二頌から第四〇四頌に至るまで合せて一八三頌あったのに対して、約倍近くあって長い。だから前章をCullavagga(「小なる章」the Short Book)と名づけるのに対して、この章をMahāVagga(「大いなる章」the Long Book)と名づける(英語名はChalmersの訳語である)。

出家――「出家」と名づけられるこの一節における対談はUtt.20に対比して研究する要がある。
「出家」の原語はpabbajjāで「前におもむく」という字義である。ジャイナ教の聖典のうちにも似たような説明が述べられているということは、ブッダもマハーヴィーラも、ともに〈出家する〉という当時の宗教的習俗に従っていたものであるということを示す。
ここの一連の詩句では、ビンビサーラ王との会見が記されているので、歴史的にも重要である。
南方仏教の伝説によると、釈尊は出家してのち七日たってから、当時最大の強国マガダ国の首都王舎城に来たという。七日というのは誇張であろう。カピラヴァストゥから王舎城までさしわたし300マイル以上あり、実際の路程は400マイル以上に達するであろうから、この距離を托鉢行者が托鉢しつつ七日で行くことは不可能である。

他の伝説によると、釈尊は出家してから一夜にして三つの王国を過ぎ、30ヨージャナを旅してアノーマー(Anomā)という河のもとに達し、そこで鬚髪を剃って落飾し、次いでアヌーピヤ(Anupiya)というマンゴー樹林で七日間出家の楽しみを味わい、それから30ヨージャナの道を歩んで一日にして、マガダ国の王舎城に到達したという。これも同様に誇張した表現を含んでいる。

伝説によると、釈尊は王舎城で托鉢し終り、人々にこの市の出家者はどこに住んでいるのかと聞いた。するとパンダヴァ山の東面に住んでいるという答えを得たので、そこに至った。ビンビサーラ王は釈尊の姓氏を尋ねさせ、その出家を思いとどまらせようとした。しかし釈尊はこれを辞して、二人の仙人を訪ねたという。

ただゴータマ・ブッダが出家してまもなく当時最大の強国であるマガダの首都王舎城にまっしぐらに来たということは、注目すべきである。マガダは当時新しい技術を採用し、生産性の最も高かった国であった。かれとしては、いわば当時としては新しい文化の中心地へ来たわけである。王舎城は都市と呼ばれ、パンダヴァ山は王舎城のまわりにある五山の一つとされている。当時のマガダ王はビンビサーラ(Bimbisāra)であった。この王はカーストに関していえば、当時クシャトリヤであったが、大王(mahārāja)と呼ばれていた。

王舎城はいまはラージギルと呼ばれている。この都は旧王舎城と新王舎城との二つに分かれていて、旧都は山城と呼ばれ、そこには(インダス文明を除いて)最古の石造建築の跡が残っている。これは伝説によるとマハーゴーヴィンダ王の建てたものである。その後ビンビサーラ王のときに平地に新王舎城を建てた。

周囲に五つの山がある。1、白善山(Pandava)、2、霊鷲山(Gijjhakuta)、3、負重山(Vebhāra)、仙人崛山(Isigiri)、5、広普山(Vepulla)。

王舎城の都の跡は、現在は荒廃に帰して一面に草木が茂っているだけであるが、国王の都城としてはたしかに要害の地であったにちがいない。北側の渓谷に小さな川が流れているが、そのあたりに城門があり、釈尊はそこを出入りされたと土地の人は説明している。ひとたびその城門を鎖してしまえば、難攻不落であった。だから王舎城は諸王国が対立して、互いに侵略を繰り返しているときの都としては適当であった。しかしマガダ国が強大になり、他の国々から侵略される恐れがなくなると、王舎城は都として不適当である。だから、マガダ国は、後代になると、首都を水陸交通の要衝であるパータリプトラ(いまのパトナ)に移してしまった。それはアジャータシャトル王の子であるウダーイン王のときであると考えられている。しかし釈尊の当時には王舎城はマガダの首都として栄えていたのであり、「マガダの最大の都」と呼ばれている。或いはインド第一の繁華な都であったかもしれない。『スッタニパータ』のかなり古い部分であるこの短編に釈尊が王舎城に来た次第が述べられている。

405 眼ある人はいかにして出家したのであるか……――以下一連の詩句は、ブッダの愛弟子で侍者であったアーナンダがこれを説いたという。

以上註記より抜粋して引用した。

大変長い解説で引用するのは如何なものかと思われましたが、ほとんど写してみました。じつは前々からインドに行きたいという願望を持っていまして、とくにラージギル(王舎城)へは是非行ってみたいと今でも強く思っています。

大いなる章は、釈尊入滅後のそう遠くない時期に成立したものと考えられています。次の第四章と第五章は最も古く成立したとされていますが、この第三章も又それに次ぐ古層に属するものです。それは抽象的な文言よりも具体的な人物名や背景が描かれていて、とくに対話というか対談の中身が非常に現実に即したものであることからも容易に伺えます。また本詩の「われ」というのは、釈尊の侍者であられ多聞第一の阿難尊者(アーナンダ・阿難陀大和尚)であることを申し添えておきます。

それはともかく、この章の最初の節が「出家」から始まることに注目したとき、道元禅師の晩年に著された「正法眼蔵」(十二巻本)の最初の巻が「出家」でありますことに、深い感慨を覚えずにはいられません。

なぜ出家したのか?この事情は出家者によって様々でありますが、ブッダ釈尊のそれは透徹した眼であったように思います。そのこそが本章を貫く一大テーマであると存じます。

眼ある人(釈尊)はいかにして出家したのであるか、かれはどのように考えたのちに、出家を喜んだのであるか、かれの出家をわれは述べよう。

スッタニパータ376

第二 小なる章

〈14.ダンミカ〉

わたくしが聞いたところによると、──あるとき尊き師(ブッダ)はサーヴァッティー市のジェータ林、〈孤独な人々に食を給する長者の園〉におられた。そのときダンミカという在俗信者が五百人の在俗信者とともに師のおられるところに近づいた。そして師に挨拶し、かたわらに坐った。そこで在俗信者ダンミカは師に向かって詩を以て呼びかけた。

376 「智慧ゆたかなゴータマ(ブッダ)さま。わたしはあなたにお尋ねしますが、教えを聞く人は、家から出て出家する人であろうと、また在家の信者であろうと、どのように行うのが善いのですか?

中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた
教えを聞く人――sāvaka.パーリ語でsāvaka,サンスクリットで srāvaka は、もとは単に「教えを聞く人」「弟子」という意味であった。ところが、後代の仏教では、伝統的保守的仏教を奉ずる忠実な出家修行僧の意味に解せられ、漢訳仏典では「声聞」(しょうもん)と訳される。これに対して、ジャイナ教では、ArdhamAgadhi 語でsAvagaとなり、在俗信者のことをいう。後代の仏教でも、後代のジャイナ教でも、この後の意義が一方に特殊化され限定されたのであって、もとは両者を含んだもの、「教えを聞く人」というだけの意味のものであったと解される。
その変遷の過程は、次のごとくである。教えを聞く人々のうちには、出家者(anAgAra,pabbajita)すなわちビク(bhikkhu 比丘)と在家者(agArin,gahattha)すなわち在俗信者(upAsaka)と二種類あった。(中略)在俗信者でも〈教えを聞く人〉(sAvaka)であったのである。ところが教団が発展して、教団の権威が確立すると、出家修行者は在俗信者に対して、一段と高いところに立つようになる。他方、在俗信者は一段と低いものと考えられる。そこで、「教えを聞く人」とは、教団で集団生活をしている出家修行者にのみ限られるようになった。しかしそれは、後世になってから意義が変化したのである。そうして、ある時期から在俗信者は「仕える人」(upAsaka)と呼ばれるようになった(『スッタニパータ』の韻文の中ではupAsakaという語は第三七六、三八四詩にのみ出てくる。しかしマウリア王朝時代およびそれ以後の碑文にupAsaka,upAsikaとあれば、ほとんどすべて仏教の在俗信者のことである)。すなわち、出家修行者に対して仕える人なのである。〔この点はジャイナ教の場合でも同様で、在俗信者をupAsaga=upAsakaと呼ぶ。〕ここでは階位に関する僧俗の分裂がはっきりと意識されるに至ったのである。以上の変化に対応して、ジャイナ教でも同様の変化が見られる。古い聖典(例えばUvAsagadasAo)では「仕える人」(uvAsaga)と呼んでいる。

以上註記より抜粋して引用した。

ここで明確にしておかなければならないことは一つです。それは出家であろうが在家であろうが立場は違っても上下の関係にないということです。これは後代の仏教が権威付けのために行った制度に過ぎないという事実です。ここをはきちがえると大変なことになるどころか、教えを冒涜することになろうと思います。縁あって修行者となる人も、縁あって在家に留まる人も共に仏教徒であることに何ら変わりないことを強調しておきたいと存じます。

さて、今日から始まるこの節は本章の最後の部分にあたります。いわば結論的に具体的な仏教徒のあり方を問い、またブッダが詳細にその内容を示されております。この節だけを読んでも一通りの仏教徒の在り方が理解できるようにまとめられていると申し上げてよろしいかと存じます。

それにしても500人もの在俗信者を引き連れてきたこのダンミカなる方は凄い方ですね。現代でいえば、講演会場に500人集めて話を聞きに来たようなものです。修行僧だけではなく、在家信者もたくさんおられた。そういうカリスマ性があったといえばそれまでですが、メディアの広告もインターネットもない時代です。どうやって集めたのかと不思議ですが、やはり口コミでしょうね。善いものは善い。そして知らずに伝わる。それが2500年間も続いている。驚きです。

「智慧ゆたかなゴータマ(ブッダ)さま。わたしはあなたにお尋ねしますが、教えを聞く人は、家から出て出家する人であろうと、また在家の信者であろうと、どのように行うのが善いのですか?