タグ別アーカイブ: 四種の徳

スッタニパータ191

第一 蛇の章

<10、アーラヴァカという神霊>

191 ああ、目ざめた方がア-ラヴィーに住むためにおいでになったのは、実はわたくしのためをはかってのことだったのです。わたしは今日、何に施与すれば大いなる果報が得られるかということを知りました。

〈中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より〉


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた

ブッダは、アーラヴィの神霊の住居に住んだときに神霊からとがめられるように詰問を受けています。アーラヴァカという神霊にしてみればまさか自分のために住みに来たとは思ってもいなかったのでありました。

さて、神霊は「四種の徳」である誠実・自制・施与・忍耐のうちの施与が具体的に何を指すのかに気づいたのです。それはブッダ自らがわざわざお越しになって、こうして大いなる果報を得る方法を教えてくれた。しかも自然な問答という形で私が最も知りたかったことをズバリ教えてくれた。では私がすべきは何かといえば、これはもう決まっているではないか、私もブッダのようにこの素晴らしい真理(仏法)を伝えていくことであると、こう確信をしたのであります。

布教という言葉がありますが、現代日本では怪訝な目でみられることも多いかと存じます。自分だけやっていればいいんじゃない?人に迷惑かけないでといった雰囲気が大勢を占めているかもしれません。さまざまな邪な教えがはびこっているのは古代から現代まで変わらぬ事実でしょう。いろいろな誹謗中傷にただ黙って耐えるしかないときもあるかもしれません。そのようなときでもこの四種の徳を思い起こすのです。誠実・自制・施与・忍耐。

ブッダの偉大な教えを何としても人々に伝えたいとの熱い思いから、しかも自らの欲望・感情をおさえつつ、人々に対して自らのできることを精一杯行い、どのようなことがあっても決して心挫けることなく耐え忍ぶこと。

この詩句を聞いた人々は、我が事として多いに歓喜し、自らの生き方の指針としたことは言うまでもありません。

ああ、目ざめた方がア-ラヴィーに住むためにおいでになったのは、実はわたくしのためをはかってのことだったのです。わたしは今日、何に施与すれば大いなる果報が得られるかということを知りました。

スッタニパータ190

第一 蛇の章

<10、アーラヴァカという神霊>

190 [神霊いわく、──]「いまやわたしは、どうして道の人、バラモンどもに広く問う要がありましょうか。わたしは今日<来世のためになること>を覚り得たのですから。

〈中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より〉


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた

ブッダは、人間や神霊(天上)の後生を否定しておりません。輪廻転生といいますが「来世」に憂いのないため、つまり死後のことをあれこれ心配しなくて良いための「四種の徳」を身につけることを諭されたのです。これは決して脅しではありませんし、気休めでもありません。透徹した眼で真理を覚り得たことを、惜しげなく、握りしめることなく開陳されたのであります。

ただ疑いやすいものたちは、この真理を捻じ曲げて伝えているかもしれません。この世界を貫く摂理として、因果応報というものを確認しておきましょう。まずほとんどの人びとは転生します。地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六つの道(あの世)を六道といい、この六道を色々と回ることを六道輪廻と後世には説かれることになりますが、ブッダは具体的には言及していません。善と悪のそれぞれの道があると申されているのです。

だれもが心配なことを、四種の徳を常に意識して生活していれば何の憂いもないと断言されています。ですから神霊たちは安心して、他のどのような善知識(道の人・バラモン)に聞くものですか、とブッダに答えるのでありました。確かめてみれば解るのですが、この四種の徳は実によく纏められています。皆様もどうか様々な善い徳を具体的に当てはめて確かめられることをお勧めいたします。

「いまやわたしは、どうして道の人、バラモンどもに広く問う要がありましょうか。わたしは今日<来世のためになること>を覚り得たのですから。

 

スッタニパータ188

第一 蛇の章

<10、アーラヴァカという神霊>

188 信仰あり在家の生活を営む人に、誠実、真理、堅固、施与というこれら四種の徳があれば、かれは来世に至って憂えることがない。

〈中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より〉


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた
信仰あり在家の生活を営む人に――saddhassa gharam esino.(中略)
真理――原語はdhamma.ここでそれが何を意味するのか、よく解らない。註は第186詩の「教えを聞こうとする熱望によって智慧を得る」ことを言うのだと解する。しかしどうも適合しない。次の詩句に出てくる「自制」(dama)がここでdhammaと書き換えられたのだと解すると、第188詩と第189詩はうまく相応する。

「四種の徳」の解釈をめぐっては、様々に論評することができますが、ここでは推察ではなしに文字通りの意味で受け止めておきましょう。在家の生活では、何が最も重要であるかを分かりやすく説明しています。

第一に誠実であること。これは日本語では「まこと」という言葉が直感的に馴染むのではないでしょうか。まことを尽くして事に当たるということです。

次に真理ですが「自制」に置き換えると「忍耐」の意味にも取れます。この世が苦である以上、一にも二にも忍耐・辛抱の連続、一生楽はない、今を喜ぶことが悟り、すなわち真理といえます。

堅固は身持ちが堅いという意味の徳分であります。フラフラしない、右顧左眄しないということです。右往左往もしない真っ直ぐな生き方といった徳分です。

施与とは、自分に出来ることを、社会のためになることを進んで行うという徳目です。布施という言葉でも説明されますが、ここでは仲間内のみならず広く施しを行うことです。

この詩句でもっとも肝心な点は、来世にも憂いがないと保証されていることです。在家の人には後生があるのです。あの世に生まれ変わっても幸せであるための徳を今生で積みなさいと説かれているのであります。

信仰あり在家の生活を営む人に、誠実、真理、堅固、施与というこれら四種の徳があれば、かれは来世に至って憂えることがない。