タグ別アーカイブ: 嫌悪

スッタニパータ493

第三 大いなる章

〈5.マーガ〉

493 貪欲と嫌悪と迷妄とを捨てて、煩悩の汚れを減しつくし、清らかな行いを修めている人々がいる。──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた

後世に貪瞋癡(とんじんち)の三毒と呼ばれることになる貪欲と嫌悪と迷妄とを捨てることが、煩悩の汚れ、すなわち迷いをなくす道(方法)であり、清らかな修行であると説かれております。この三毒はいずれも強力な毒です。人を殺傷することにつけてはサリンやVXに勝るとも劣らぬ力を秘めています。それは全ての人類が保有しており、それどころか人類の破滅にも至る猛毒中の猛毒です。先日の金正日氏の暗殺一つとってみても、権力の保持という貪欲と、権力に逆らう者への嫌悪と、権力の過信という迷妄に冒された暴挙であることは論を待たないでしょう。しかしこれは他人事ではありません。誰もがそうした毒を少なからずもっています。貪欲と嫌悪と迷妄。この三つのキーワードに当てはめれば、人々の言動が明瞭となります。ブッダ釈尊の透徹した眼は、この三毒を見逃すことなく鮮明に分類整理されたのです。

修行の中身

文字面をいくら研究しようが、仏典の解説を読み解こうが、実際に修行の中身であるところの本質を身体で理解していなければ、それは単なる知識で終ります。後世の仏教はあまりにも煩雑な理論のジャングルを育て上げ、知覚できないまでの膨大な仏教学を打ち立てました。そこに仏教徒はいません。さしずめ仏教学徒と申しておきましょう。理論や論説の中身を知ろうとせずに論法や技法に陶酔しているとしか思えない学徒たちが沢山います。呆れるほどです。皮肉を申し上げているのではありません。三毒を知っていたとしても、まさか自分の中にこの三毒が回っていることに気づかないでいたら取り返しがつきませんよ、と申し上げたいのです。これは特に自分に言い聞かせています。自己と他己のためにならない学問なら意味はありません。三毒に気づくための、またその解毒のための、一番効果的な修行は何であるか。何をすればこの三毒を捨てられるか。これを自分自身で決めておく。そして愚直に実行する。いわば修行の中身をどうするかが一番大事なことです。でなければブッダ釈尊一代の言説は自分にとって表面上のものになりかねません。教えを皮や肉を味わって終えるか、骨の髄までしゃぶるかであります。骨髄を得る。これは決して皮肉で申し上げてはおりません。ここが肝なのです。

春の雪淡く重たく伸し掛る(月路)

冬に逆戻りとまではいきませんが、ここ敦賀では雪が30センチも積もりました。朝起きてびっくり。昼過ぎにはずいぶん融けてやはり三月の雪だなあと感慨しきりです。昨日は市内の檀家さんに配り物をポスティングしておりました。狭い道路は除雪していなくてあちこちで立ち往生。おそらくノーマルタイヤに履き替えておられたんでしょうね。ここは不精の勝利でした。さて早木曜日です。明日は奈良に戻りますが、それまでにして置かなければならないことは、塔婆書と議事録。確定申告は来週住所移転後に奈良で行います。これ、このブログ、わたしの日記でもあります。悪しからず。

貪欲と嫌悪と迷妄とを捨てて、煩悩の汚れを減しつくし、清らかな行いを修めている人々がいる。──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

スッタニパータ436

第三 大いなる章

〈2.つとめはげむこと〉

436 汝の第一の軍隊は欲望であり、第二の軍隊は嫌悪であり、第三の軍隊は飢渇であり、第四の軍隊は妄執といわれる。

中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた
嫌悪――原文にはaratiとあるが、パーリ原典協会のパーリ語辞典の解釈に従う。註にはadhikusalesu dhammesu arati=abhiratiと解す。

第四の軍隊としての「妄執」(taṇhā)の原語はもともと渇を意味するが、ここでは第三の軍隊を「飢渇」(khuppipāsā)と呼んでいるから、taṇhāと「渇」(pipāsā)とは別の概念である。taṇhāは人間存在の奥にある意識下の、衝動的なものであるが、pipāsāは生理的な概念である。

以上註記より抜粋して引用した。

つぎの詩句では、ものうさ・睡眠、恐怖、疑惑、見せかけ・強情、さらには利得・名声・尊敬・名誉、また自己を褒め讃え他人を軽蔑すること、と続きます。これらはナムチの軍勢であると喝破されるのであります。いかがでしょうか。なにも言えません。人間に巣食う本質にみごとに迫っています。これはブッダが発見されたものではありません。だれにでもある人間性ですし、ブッダ自身のなかに存在していたものです。それを明確にされた。よく勘違いしてしまう態度に、自分はそうではない、人々がそうだという奢りがだれにでもあるものです。その部分が一番大事で、哲学的に本質を見定めることが目的ではありません。現実に、これらの軍勢を打ち破らなければ、解脱など遠い夢のような話で自分には全く関係ないことになってしまいます。

まず今日は、第一から第四の軍勢を肝に銘じておきたいものです。欲望が第一です。全ては欲望に帰一します。全部自己の欲望から派生したものばかりです。だれでも自分が一番大事です。それを一言でいってしまえば、「欲望」なのです。この欲望をしっかり見つめることから始めたいものです。ついで嫌悪。自分が可愛いゆえの嫌悪、人の欠点が見えてしまう、嫌だと思うことです。これについては他人の悪口をいうのが証拠でしょう。胸が痛みます。さらに飢渇。飢えと渇き。腹が減った、喉がかわいた。なんでもないことのようですが、食べ物、飲み物によって自分の身体が出来ています。口にするものが人間を維持しているのですが、これに貪欲であるとどうなるか。結果は歴然としております。少欲知足。足るを知らなければ、大変なことが待っています。ときには断食をすることも必要かもしれません。そして妄執。妄想と執著。この大軍勢は難敵です。この妄執が生え抜きの精鋭部隊ですから、ここまでであっさりと陥落してしまいます。

餅が割れ 鏡開きぞ 何しとる (月路)

正月もはや半ば。時は急流。もろい筏にのって竿をさしておりますと、転覆どころか筏ごとバラバラになってしまいそうです。年末にやり残したことを、まあいいやとそのままにしておいたつけが、いつやってくるかとハラハラしながら目移りばかり。困ったものです。何かに集中していると、これは後でいいや、放おっておこうと思い、事実そのままにしておく。悪い性格が最近もろに出ています。反省と謝罪。どこかの国のようですが、これも欲望ですね。第一の軍勢だけで充分です。わたしを倒すのは。今日はここまで、また明日。

汝の第一の軍隊は欲望であり、第二の軍隊は嫌悪であり、第三の軍隊は飢渇であり、第四の軍隊は妄執といわれる。