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スッタニパータ154

第一 蛇の章

<9、雪山に住む者>

154 雪山に住む者という神霊(夜叉)がいった、「このような立派な人のこころは一切の生きとし生けるものに対してよく安立しているのだろうか。望ましいものに対しても、望ましくないものに対しても、かれの意欲はよく制されているのであろうか?」

〈中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より〉


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた
意欲――samkappa.――'mind'(Chalmers).普通「思惟」と訳すが、これはむしろ「意欲」と訳したほうがよいであろう。貪りと嫌悪とによって生起する。(中略)次行の訳に見られるように、ノイマンは「思惟」という性格を全然認めていない。
よく制されているのであろうか――samkapp' assa vasikata.
'ist……alsbald erbotig Sinngewalt?'(Neumann)
以上註より引用しました。

当分の間、この「七岳という神霊」と「雪山に住む者という神霊」(ともに夜叉)の会話が続いていきます。ようするにブッダの名声を聞き彼らはブッダの人となりを論じ合うのです。後にブッダが現れて話されるのですが、このような会話形式はこのスッタニパータでは随所に出てまいります。

一切の生きものに対して安立するとはどういう意味でありましょうか。また望むと望まぬにかかわらず意欲を制(制御)するとはどういう意味でありましょうか。一度考えてみましょう。ここはいわゆる肝の部分です。なぜなら二人の神霊によって復唱されるからです。

雪山に住む者という神霊(夜叉)がいった、「このような立派な人のこころは一切の生きとし生けるものに対してよく安立しているのだろうか。望ましいものに対しても、望ましくないものに対しても、かれの意欲はよく制されているのであろうか?」