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スッタニパータ301

第二 小なる章

〈7、バラモンにふさわしいこと〉

301 バラモンたちは、牛の群が栄え、美女の群を擁するすばらしい人間の享楽を得たいと熱望した。

〈中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より〉


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた

流行りの言葉を使えば「キターッ」といったところでしょうか。若い人たちの言語は、じつに判りやすい。べつに若者に媚を売っているわけではありませんが、このバラモンの「熱望」に関しての反応には存外このようなリアクションが似合うと思います。

牛(財産)と美女を所有して人生の享楽を味わいたいという絵に描いたような欲望が最初期の仏典に描かれているという驚きと人間の本質は何千年経っても変わらないという確かさに正直なんとも言えない感慨を抱いております。

ただここではまだ「熱望」のレベルです。しかしこの「熱望」は強烈なパワーをもっています。モチベーションの力は侮れません。現に多くの成功者はこの「熱望」の力を使って、人生の成功(自分にとって価値のある目標を達成すること)を手に入れてきたのであります。「熱望」というものが、単なる願望を具体的かつ明確に実現していく現実的な力に成り得るわけであります。

この後、バラモンたちの使った手(手法)は決して許されるものではありませんが、大きな成功を収めます。欲望というものは一般社会にとって善にも悪にも必要なことであります。欲望なくして進歩はありません。願望なくして解決はありません。そして「熱望」なくしてその成功はあり得ないのであります。ほんのちょっとした思いつきを昇華させていけるか、一時的な思いつきのレベルで終わるかは、「熱望」と継続にかかっております。

今日の詩句だけを取り出して、「成功法則」として掲げることさえ出来ます。それほどブッダの言葉は洗練されており本質を突いており、不必要なことは一行も書かれておりません。「牛の群れ」「美女の群れ」といったビジュアリゼーション(視認化)まで織り込められ、全くもって脱帽もののそれこそ「キターッ」でありました。

バラモンたちは、牛の群が栄え、美女の群を擁するすばらしい人間の享楽を得たいと熱望した。

スッタニパータ186

第一 蛇の章

<10、アーラヴァカという神霊>

186 [師いわく、──]「諸々の尊敬さるべき人が安らぎを得る理法を信じ、精励し、聡明であって、教えを聞こうと熱望するならば、ついに智慧を得る。

〈中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より〉


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた
安らぎ――nibbhana.
教えを聞こうと熱望する――刊本にはsussusaとあるが、ブッダゴーサ註にはyava dhammasavanena sassusam labhatiとなっているので、後者に従って解した。以上註より引用した。

師とは、むろんブッダのことです。これから前句の質問の回答が始まります。まずは智慧を得る方法です。智慧を得るにはその条件が必要です。誰でも智慧を得れるわけではないのです。そんじょそこらの生活の知恵とは違います。猿知恵、浅知恵でもないのです。いわば崇高な「智慧」なのです。

人々の中で「尊敬に値する人」というのは、そうざらにいません。尊敬さるべき人とはそういう人です。あっさり申し上げれば「感謝されている人」と言ってよいでしょう。これが人格的な条件です。人から感謝されてもいない人は、いままで(過去に)努力していない人ですから問題外です。そういう現実に尊敬されている人が、「安らぎを得る理法」つまり仏法(ブッダの教え)を信じて、精励(努力)し、聡明であって(心から納得できて)、教えを聞こうと熱望すること。これは並大抵のことではありませんが、もっともかんたんなステップなのです。

聞いたことを一つ一つ実行すること。実行できるようになったら次にやるべきことを心から聞きたいと強く望むこと。すると新しい教え(身についていないこと)を聞くことができるのです。

一つ具体的な例をお話しましょう。私たちは幸せや平和を望んでいるとしましょう。ところがこれではいつまでたっても求める幸せは永遠に得られません。今現在に幸せや平和を感じる気づくことがなければ、幸せは観念・想像の中にしかないのです。今この瞬間に幸せを感じられるかどうかが智慧の鍵であります。

今日はひさしぶりに尊敬するマインドフルネスの師の動画をご紹介します。この動画で智慧の鍵を得てください。

諸々の尊敬さるべき人が安らぎを得る理法を信じ、精励し、聡明であって、教えを聞こうと熱望するならば、ついに智慧を得る。