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スッタニパータ211

第一 蛇の章
<12、聖者>

211 あらゆるものにうち勝ち、あらゆるものを知り、いとも聡明で、あらゆる事物に汚されることなく、あらゆるものを捨て、妄執が滅びて解脱した人、ーー諸々の賢者は、かれを〈聖者〉であると知る。

〈中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より〉


 

自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた

これから当分の間は、諸々の賢者が聖者であると知る人物の資質が列挙されます。

  • あらゆるものに打ち勝っている。
  • あらゆるものを知っている。
  • いとも聡明である。
  • あらゆる事物に汚されていない。
  • あらゆるものを捨てている。
  • 妄執が滅びて解脱している。
  • 智慧の力がある。
  • 戒めと誓いをよく守っている。
  • 心がよく統一している。
  • 瞑想(禅定)を楽しんでいる。
  • 落ち着いて気をつけている。
  • 執著から脱している。
  • 荒れたところがない。
  • 煩悩の汚れがない。
  • 独り歩んでいる。
  • 怠ることがない。
  • 非難と賞賛とに心を動かさない。
  • 音声に驚かない獅子のようである。
  • 網に捉えられない風のようである。
  • 水に汚されない蓮のようである。
  • 他人に導かれることがない。
  • 他人を導く人である。

まだまだ続きますが、今日はこのぐらいにして一つ一つじっくりと見てまいりましょう。ブッダが如何に特別な存在であるかがわかるというものです。ウンザリせずに、ただの一つでも我が姿勢としたいものです。

ブッダは完全な存在です。人間でありながら完全となられた聖者です。私たちは遠く及びません。元々の神々ならば当たり前ですから敬いはしますが申し訳ないのですが尊敬には程遠いのです。

個人的に私は「音声に驚かない獅子のように」をモットーに生きていきたいと思っています。これも執著かもしれませんが、まずは少々のことでクヨクヨせずに、のんびりどっしり腰を据えていたいと思います。まあ雑音にビックリしているようじゃ、まるで獅子ならぬ猫ですから。

あらゆるものにうち勝ち、あらゆるものを知り、いとも聡明で、あらゆる事物に汚されることなく、あらゆるものを捨て、妄執が滅びて解脱した人、ーー諸々の賢者は、かれを〈聖者〉であると知る。

 

スッタニパータ186

第一 蛇の章

<10、アーラヴァカという神霊>

186 [師いわく、──]「諸々の尊敬さるべき人が安らぎを得る理法を信じ、精励し、聡明であって、教えを聞こうと熱望するならば、ついに智慧を得る。

〈中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より〉


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた
安らぎ――nibbhana.
教えを聞こうと熱望する――刊本にはsussusaとあるが、ブッダゴーサ註にはyava dhammasavanena sassusam labhatiとなっているので、後者に従って解した。以上註より引用した。

師とは、むろんブッダのことです。これから前句の質問の回答が始まります。まずは智慧を得る方法です。智慧を得るにはその条件が必要です。誰でも智慧を得れるわけではないのです。そんじょそこらの生活の知恵とは違います。猿知恵、浅知恵でもないのです。いわば崇高な「智慧」なのです。

人々の中で「尊敬に値する人」というのは、そうざらにいません。尊敬さるべき人とはそういう人です。あっさり申し上げれば「感謝されている人」と言ってよいでしょう。これが人格的な条件です。人から感謝されてもいない人は、いままで(過去に)努力していない人ですから問題外です。そういう現実に尊敬されている人が、「安らぎを得る理法」つまり仏法(ブッダの教え)を信じて、精励(努力)し、聡明であって(心から納得できて)、教えを聞こうと熱望すること。これは並大抵のことではありませんが、もっともかんたんなステップなのです。

聞いたことを一つ一つ実行すること。実行できるようになったら次にやるべきことを心から聞きたいと強く望むこと。すると新しい教え(身についていないこと)を聞くことができるのです。

一つ具体的な例をお話しましょう。私たちは幸せや平和を望んでいるとしましょう。ところがこれではいつまでたっても求める幸せは永遠に得られません。今現在に幸せや平和を感じる気づくことがなければ、幸せは観念・想像の中にしかないのです。今この瞬間に幸せを感じられるかどうかが智慧の鍵であります。

今日はひさしぶりに尊敬するマインドフルネスの師の動画をご紹介します。この動画で智慧の鍵を得てください。

諸々の尊敬さるべき人が安らぎを得る理法を信じ、精励し、聡明であって、教えを聞こうと熱望するならば、ついに智慧を得る。