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スッタニパータ628

62在家者ざいけしゃ出家者しゅっけしゃのいずれともまじわらず、住家すみかがなくて遍歴へんれきし、欲の少い人、──かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。

中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた
『ダンマパダ』第四〇四詩に同じ。
在家者・出家者のいずれとも交わらず……――「貪欲なることなく、人に知られずに生き、家なく、所有なく、在家者どもと交際しない人、――われらはかれをバラモンと呼ぶ」(Utt.ⅩⅩⅤ,28)。「(両親など及び)親戚・縁者との以前からの結びつきを捨て、快楽に耽らない人、――われらはかれをバラモンと呼ぶ」(Utt.ⅩⅩⅤ,29)。「出家者とさえ交わらない」というのであるから、サンガによる共同生活以前の段階である。
以上註記より引用した。

現代の感覚からすればまるで世捨て人・変わり者のようでありますが、最初期のブッダの教えは、徹底していました。「犀の角のように一人歩め」というのが基本です。このスッタニパータの最初の方をぜひ読んでいただきたいのです。一人で生活することが修行の基本であります。皆で居るときは誰でもそこそこ修行を致します。人の眼があるから比較的に修行はたやすいのですが、一人になってもきちんと朝から坐禅をし、朝課を行い、食事の準備をして、きちんと戴き、托鉢や作務に勤しむかというと、疑問符がつきます。

人々との交際を行うと、どうしても修行に専念できません。余計なことを考えてしまうからであります。また「つきあい」のためのお金や時間が必要になってまいります。これが普通ですが、ブッダの教えを忠実に実行するには、出家・在家を問わず他の人との交際を避けることは「至上命題」なわけです。

人からどのように思われようが言われようが決して気にしない。御礼を言ってほしくて待っているような人々のことを気にして居るようでは、修行は続きません。世間の道理にしたがっておると、仏道は続かないのです。

住むところがない、そうした何もかもを捨ててはじめて、仏道は完成します。完成した道を一人歩む姿が、さとりの姿であります。残念ながら、これはほとんどの人が実行できません。真のバラモンとはそうした人々であることを、尊敬に値する人は稀有の存在であることを確認しておきましょう。

スッタニパータ444

第三 大いなる章

〈2.つとめはげむこと〉

444 みずから思いを制し、よく念い(注意)を確立し、国から国へと遍歴しよう。──教えを聞く人々をひろく導きながら。

中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた
444-445 この二つの詩句から見ると、人々に対して教えを説くことが、義務とされているのである。

以上註記より引用した。

本詩と次の詩は、ブッダ釈尊がさとりを開いてから、人々に教えを説きながら遍歴された45年間を統括された内容となっています。後に八正道と呼ばれる実践の在り方を簡潔に示しておられます。ナムチを退け完全に解脱しています。前の詩句までは、精励の様子を克明に描かれているのに対し、本詩においてはすっきりと旅立ちの決意が述べられております。何も心にかかることがない晴れやかな様子であります。

自らの思いを制すること

自分の思い(思惟・考え方)を制御すること。人は皆、自らの思いによって生活します。仕事であれ趣味であれ日常生活のすべてが自らの思いによって立ちふるまいます。この思いをコントロールしていく。これが基本です。正見、正思に始まる八正道の最初の部分の原典ともいうべき簡潔な表現かと存じます。

念(注意)を確立すること

日常すべてにこの念(おもい)を確立する。いつも注意している。気をつけている。これは交通事故などに気をつけるといった漠然とした思いではありません。何をするにも、よく知り、よく気をつける。一息ごとの注意です。正知と正念といいますが、阿含経典の「如来は道を教える」に詳しく述べられておりますから、ぜひ今一度参考にしてみて下さい。漢訳では「算数目犍連経」と呼ばれる比較的古い層に属するお経で、ブッダがその弟子に最初に修行の具体的方法を教えるくだりが分かりやすく紹介されています。当時の修行指導の様子が目に浮かぶ内容です。ぜひご一読下さい。→ここから

国々を遍歴された理由

ブッダ成道より八十歳で涅槃に入られるまでの四十五年間はまさしく遍歴でありました。梵天勧請(ぼんてんかんじょう)の説話もありますが、神話的な話は脇におきまして、ブッダの悟りを極言すれば、慈悲、いつくしみに尽きると思います。もの凄い修行であったのですが、死をも顧みない壮絶な魔との戦いであったのですが、その結論は、人々にはこの深い真理は決して理解できないであろうが、それでも道を教え続けることである。いずれは多くの者があとに続くとの確信でありました。

事実、仏教は二千五百年続いております。八万四千の法門と幾千万巻の経典ことごとく、ブッダの智慧と慈悲を今に伝えています。教えを聞く人々をひろく導きながら。この発願に全ての思いが込められているような気が致します。このひろく導きながらは原文のままです。色んな弟子が居ていいのです。仏教徒はみんなブッダの弟子です。中にはそれこそ様々な人々がおります。そんなことブッダは、とうの昔にご存知でありました。

閑話休題

四九日や 浴司掃除が 残りおり (月路)

四九日(しくにち)と言いまして、四と九のつく日が浴司(よくす・風呂)であったり髪と鬚を剃る日でもありました。もちろん今では毎日のように浴びておりますが、誰かと会う時は極力鬚を剃りますが、原則は四九日、まあ修行僧の休日というか一休みの日です。坐禅をお休みするお寺も多いと思います。放参(ほうさん)とかいいましたが忘れてしまいました。

みずから思いを制し、よく念い(注意)を確立し、国から国へと遍歴しよう。──教えを聞く人々をひろく導きながら。