タグ別アーカイブ: 12の破滅

スッタニパータ124

第一 蛇の章

<7、賤しい人>

124 己れは財豊かであるのに、年老いて衰えた母や父を養わない人、──かれを賤しい人であると知れ。

〈中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より〉


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた
第九八詩参照
とだけ註にありました。

参考にまで上記のリンクを開いてみてください。破滅への門と全く同じ内容です。

それほどに親不孝は破滅への門であると同時に、破滅そのものの姿であり、賤しい人間であると説かれています。

二度も具体的に忠告されながら改めなければ教え甲斐がないでしょう。レッドカードであります。

人生における「レッドカード」最後通牒は、内なる気づきであります。昔から「天知り、地知り、己(おのれ)知り」と言われておりますが、この天とは時(刻)であります。時の運(タイミングの意)といってもよいでしょう。つぎに地とは地縁などというように人間関係のことであります。人様からの忠告がそれです。そして己はまさしく自己のことです。自分が一番よく知っているのです。わかっているのです。わかっているけどやめられないのが最後通牒であり、もう知りませんよという「レッドカード」を渡される瞬間なのです。

自分で気づいたなら改めなさいと仏陀はやさしく説かれています。王様になる道を捨て、世間的には親不孝であったゴータマ王子は、厳しい修行の末に悟りを開かれブッダとなり、誰よりも親孝行されました。太陽の末裔(すえ)としての誇りを全うされたのであります。国王であった父もまた息子であるブッダに帰依されました。王城に残した一人息子も後にブッダに帰依しております。育ててくれた義理の母もブッダに帰依しました。縁ある者がことごとくブッダに帰依したのは歴史上の事実であります。

わたしは、今日のブッダの声(詩句)は、偉い方が上から目線で仰っているのと全く違うと思います。賤しい人、言葉を換えれば腹黒い人の言葉とは全く違うのであります。苦労を知り、人々の苦しみ、痛み、辛さ、悲しみ、残念、恨み、腹立ちといった負の感情を全て体験したものだけが本当に知っている「慈悲」のうえから「智慧」をもって説かれた言葉、声です。

己れは財豊かであるのに、年老いて衰えた母や父を養わない人、──かれを賤しい人であると知れ。

スッタニパータ115

第一 蛇の章

<6、破  滅>

115 世の中にはこのような破滅のあることを考察して、賢者・すぐれた人は真理を見て、幸せな世界を体得する。」

〈中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より〉


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた
幸せな世界を体得する――sa lokam bhajate sivam.幸せな世界を体得すると気づいた境地が〈幸せな世界〉である、というのであろう。パーリ文の註にはsiva loka=devalokaと解して、「幸せな世界」とは「神々の世界」をいうのだと解するが、それは善き在俗信徒は死後に神々の世界に生まれると解する後代の見解をここにもち込んでいるのである。本文に関する限り、そのように解する必要はない。ことに原文のbhajateは「あずかる」「享受する」というほどの意味である。「天」という別の場所に到達することを意味しているのではない。いま生きているこの場所に〈幸せな世界〉が存在するのである。
以上、この一節においては、悪いと思ったことを、ただ思いつくままに述べているのである。体系化されていない。五戒、八斎戒というような、徳目の体系化がなされる以前の段階の教えであろう。と註にあります。

神が仏陀に対して一つ一つ破滅への門を問い、これに答えたブッダの詩句が、「悪いと思ったことを、ただ思いつくままに述べている」とは決して思えません。また仏教論的に体系化されたものが正しいものとも言い切れません。

ブッダの言葉には自然の輝きのようなものがあると存じます。たしかに例示的に示されており、一見するとただ思いついたままを述べているように思われますが、もう一度この十二の破滅を箇条書きに示してみましょう。

第一、理法を嫌う。
第二、悪い人々を愛し、悪人のならいを楽しむ。
第三、睡眠・集会の癖、奮励することなく、怠りなまけ、怒りっぽい。
第四、年老いて衰えた母や父を養わない。
第五、嘘をついてだます。
第六、ひとりおいしいものを食べる。
第七、血統・財産・氏姓を誇っていて、しかも己が親戚を軽蔑する。
第八、女に溺れ、酒にひたり、賭博にふけり、得たものをその度ごとに失う。
第九、おのが妻に満足せず、遊女に交わり、他人の妻に交わる。
第十、青春を過ぎた男が、若い女を誘き入れて彼女についての嫉妬から夜も眠られない。第十一、酒肉に荒み、財を浪費する女、またはこのような男に、実権を託す。
第十二、財力が少ないのに欲望が大きい。

わかりやすく、具体的な戒めであると思います。少なくとも観念的な体系化された戒めよりも直接的で、腹に響く「ブッダの声」そのものであります。お経は、その戒律や解説書である律や論と違って、状況説明や会話およびやり取りなどを物語風に表わしていますから、もっとも古くもっとも直感的な価値あるものです。それゆえ三宝(佛・法・僧)を統合的に示す最も重要な「音」であります。

現代の大乗仏教に至るまで、この「聖なる音」は脈々と受け継がれています。

懺悔文(さんげもん)

我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋痴(かいゆうむしとんじんち)
従身口意之所生(じゅうしんくいししょしょう)
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ) 〈華厳経行願品〉

三帰礼文(さんきらいもん)

自帰依仏(じきえぶつ)当願衆生(とうがんしゅじょう)体解大道(たいげだいどう)発無上意(ほつむじょうい)
自帰依法(じきえほう)当願衆生(とうがんしゅじょう)深入経蔵(じんにゅうきょうぞう智慧如海(ちえにょかい)
自帰依僧(じきえそう)当願衆生(とうがんしゅじょう)統理大衆(とうりだいしゅう)一切無礙(いっさいむげ)

世の中にはこのような破滅のあることを考察して、賢者・すぐれた人は真理を見て、幸せな世界を体得する。

スッタニパータ114

第一 蛇の章

<6、破  滅>

114 「クシャトリヤ(王族)の家に生まれた人が、財力が少いのに欲望が大きくて、この世で王位を獲ようと欲するならば、これは破滅への門である。

〈中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より〉


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた
財力が少いのに――appabhogo(=sannicita-nan~ bhoga-nam a-yamukhassa abha-vato)これは権勢欲を戒めているのである。
と註にあります。
ここで「クシャトリヤ」とありますが一般にはクシャトリアと呼ばれるインドのいわゆるカースト制度の階級でバラモン(聖職者・僧侶)階級に次ぐ王族・武人階級であり、下位階級のヴァイシャ(庶民)とシュードラ(隷民)の2階級を統治する階級であります。
ブッダ釈尊は、このクシャトリア階級の出身で王子でありました。

この第十二の破滅が示していることがらは、地位とか名誉といったものを欲しがる権勢欲に対する警告であります。実力のないものが権威を求めてどうなるのかという道理です。

王族というのは日本でいうならさしずめ皇族や貴族(公家)あるいは武家や武士に該当するとしましょう。そういう生まれの人間は山ほどいるのですが、そういう家柄に生まれても、財力(実力)が少ないのに〔見栄を張って〕欲望だけは大きくて、こともあろうに王位(大臣・統領)を狙うようでは、身の程しらずであり愚の骨頂であると同時に、はっきりと身の破滅ですよ、知りませんよということであります。

身分制度の中だけでの問題ではありません。現代社会に準えれば、財力・資金力のないものが、すなわち信用に関する裏づけのない者が、地位や名誉を求めて行動すればどうなるかを説いておられます。名誉欲というものは実は誰にでもあります。人から良く思われたいという高慢ちきな考えです。自らの実績を省みることなく家柄を誇り、人を見下すような最低の人間は山ほどおります。ごく一部の人々のことではないのです。ほとんどの人々が、自分より上だと思っている人にはペコペコし、自分より下だと思っている人には偉そうにしているのが実態であります。

クシャトリア(王族)を一例にあげて、ブッダは、このような欲望に警告を発しています。

財力が少いのに欲望が大きくて、この世で(生存中に)名誉を得よう、賞賛を受けようといった欲望は、破滅への門であると。

なお財力とは、いつでも自由にできるお金を豊富に有していることであります。

 

スッタニパータ112

第一 蛇の章

<6、破  滅>

112 「酒肉に荒(すさ)み、財を浪費する女、またはこのような男に、実権を託すならば、これは破滅への門である。」

〈中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より〉


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた
財を浪費する女――itthisondi.'a woman addicted to drink'.Childers辞典には出ていない。パーリ文註釈には「魚・肉・酒などに耽溺している女」の意に解している。(中略)
「浪費する」とは「魚・肉・酒などに耽溺するために財を塵芥のごとくに散じ尽くして消費する」ということである、と解釈されている。(中略)
仏教では酒は後代に至るまで禁止されているが(タントラ的仏教を除く)、さらに肉食に耽溺することも好まなかったことが解る。以上註より抜粋

実権をもっている(託されている)男や女が、酒肉に荒む生活を行っていたり、浪費するようでは「破滅への門」に入っていることは間違いありません。このような生活が続くはずがないからです。ただし「第八の破滅」とは若干ニュアンスが違います。ここでは「実権を託す」という箇所に注意が必要です。会社や家族ならそのトップやリーダーに誰を選ぶのか、誰にその統帥を託すのかという選任の問題であります。酒池肉林という言葉があるように、お酒の席やご馳走三昧の生活を送っている、それが当り前になっている者が社長や主人では、先が見えていますよ、今はよくとも必ず破綻がやってきますよという重大な警告なのです。

そのような社長や主人であれば、リーダー自身がその代表の座を譲るか、取締役会や家族会議を開いて解任決議する責任がメンバーにもありますよということです。組織や家族の破綻や崩壊が予測されるのに手をこまねき、そういったリーダーシップ・メンバーシップを発揮しないで、みすみす破滅へとまっしぐらに進むことはありません。共倒れすることはないのです。一人一人が責任者であることは間違いない現実なのです。

これは古代の物語、過去の教訓、歴史から学ぶといった学問ではありません。具体的な真理が説かれている「仏法」「ダンマ」「真如」でありますから、よくよく吟味しないと軽々に受け止めてしまいがちなのであります。ブッダの言葉は後代にパーリ語やサンスクリット語に記録されるようになりましたが、それまではずっと口伝です。一言一句すら変更のない完全な音として今に伝わってきたのです。サンスクリットは神の言葉ともいわれます。大和言葉が日本における神の言霊であるように。そういった文化的な鑑賞を超えて、ブッダの言葉は真理の響きでありますから、まさに心の裡に響かなければ、馬の耳に念仏、何にもならないのであります。文字文章を言葉として理解することはもちろんですが、ブッダの声として心に響くよう実際に声に出して読んでみましょう。これが本来「読経」なのです。

酒肉に荒み、財を浪費する女、またはこのような男に、実権を託すならば、これは破滅への門である」……と。

 

スッタニパータ111

第一 蛇の章

<6、破  滅>

111 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第十の破滅です。先生! 第十一のものを説いてください。破滅への門は何ですか?」

〈中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より〉


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた

おなじフレーズが繰り返されると、ひとは大抵の場合なれてしまって、読み飛ばしてしまいがちです。じつはここが落とし穴です。この「破滅への門」が12あることは前もってお話しました。ですからなおさら先に進みたくなるわけです。さほど重要ではないと勝手に判断し、当たり前のことをなぜ省略しないのかと、まで訝ります。

本当にこの繰り返しは省略できるのでしょうか。一つ一つ吟味してまいりましょう。

 

よくわかりました。――ブッダに教えを乞いその答えをいただいたのですから、当然の返事として返礼として、神は充分承知した、了解した旨を伝えます。その意図は「意味がよく分かった理解できた」ことを伝えるマナーであります。まず話の中身が分かったのかどうかを相手に伝えるのはディスカッションの原則でもあります。(これこれこういうことだと)意味は分かるのですが…の「意味がわかったのかどうか」を先に確かめなければなりません。それに対する意見や感想よりも、話自体がわかったのかどうか、意図や意味が伝わったのかどうかをフィードバック(情報を元に返す意)することは礼儀であり、マナーであります。よろしいでしょうか。

おっしゃるとおりです。――神の返答は全くの肯定でした。意味を完全に理解したうえで、その意味が妥当であるか否かを全知識を動員して判断した結果が、神(完全の象徴)の回答であります。その場で適当に相槌を打つような人間的で迎合的な部分は些かもないのです。なにしろ質問者は神なのですから。よろしいでしょうか。

これが第十の破滅です。――無駄な言葉は一行もありません。ナンバリング(番号)は順番と記号の二つの重要なファクターを含んでいます。ナンバリングの重要性は整理のみならず正確な記憶・伝承に欠くべからざるものであります。これが第十の破滅であるとしっかりと記憶し念を押しているのです。第十の破滅は何でしたか?憶えておられますか?これを憶えないで、今後とも気をつけることなぞ不可能です。一時的な知識のレベルでは、この破滅に陥らないと誰が断言できましょうか。表面上「それはそうだね」といった受け止め方では、聞かなかった方がましかもしれません。ブッダの言葉は格言的なレベルのものではありません。じつに偶然など何一つないのです。よろしいでしょうか。

先生!――神が仏陀に敬意をもって呼びかけます。よろしいでしょうか。

第十一のものを説いてください。――次の破滅を説いてください、ではないのです。11番目としての破滅への門を記銘(肝に銘じること)するために、覚悟をもって厳かに待つのです。さあ来いといったところでしょうか。真剣勝負なのです。よろしいでしょうか。

破滅への門は何ですか?――身近に迫っている危機なのです。決して他人事(ひとごと)ではないのです。たとえあなた自身が直接に破滅へと向かわなくとも、身近な誰かが、大切な誰かが破滅への門に近づいているとしたら、あなたは黙っているのですか。なにも行動しないのですか。ただ運命としてこれを受けいれるのですか。だから問う必要があるのです。神は私たちに成り代わってブッダにお尋ねされております。よろしいでしょうか。

(私達ではなく、わたしにとっての)

破滅への門は何ですか。

スッタニパータ110

第一 蛇の章

<6、破  滅>
110 「青春を過ぎた男が、ティンバル果のように盛り上がった乳房のある若い女を誘き入れて、かの女についての嫉妬から夜も眠られない、──これは破滅への門である。」

〈中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より〉


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた
ティンバル果――timbaru.tindukaともいう。樹木の名。漢訳名は不明。男性名詞であるが、水野『パーリ語辞典』、雲井『巴和小辞典』には、「ティンバル樹」「ティンバル果」と仮名書きしていて、名を訳していない。(中略)ブッダゴーサは特に説明は述べていない。
乳房――(中略)乳房全体のことを意味しているのである。



 註解によると「『青春を過ぎた男が』というのは、青春を過ぎて、八十または九十となって、という意味である。『誘き入れて』というのは、所有する(pari.ganhati)ということである。『ティンバル果のような乳房のある女を』(timbarutihani)というのは、『ティンバルの果実にも似た乳房のある若い少女を』ということである。『かの女についての嫉妬から夜も眠られない』とは、『若い女にとっては老いぼれ(mahallaka)と快楽に耽ったり、共に住むのは、楽しくない。〔他の〕ひとが若い女を求めることがないように』という嫉妬の故に、彼女を大切に護って眠られない。かれは愛欲(ka-mara-ga)と嫉妬に焼き付けられて(dayhanto)、外では事業に努めないから、破滅してしまうのである」という。
邦語で嫉妬することを「やく」という。そこまでも同じである。
これを近年の表現に翻訳すると、「老いらくの恋」はいけないということになるのであろうか。ネパールでは、結婚の際に男女の年齢差が二十歳以上ある場合には、結婚を禁止されているが、それはこのような趣意を生かしているのであろう。
以上註より抜粋しました。

詳細にわたる註および註解でありましたが、ここで重要なことは現代でも国際的に児童虐待につながる思想は完全にアウトであるという歯止めです。たとえばポルノについて言えば児童ポルノなどは厳禁で、もっての他の犯罪であるという認識です。

年齢差のある婚姻にはあえて言及いたしませんが、彼女についての嫉妬から夜も眠れないのは完璧な病気であると知るべきでありましょう。

老人には老人の使命、志というものがあるはずですから。

スッタニパータ95

第一 蛇の章

<6、破  滅>
95 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第二の破滅です。先生! 第三のものを説いてください。破滅への門は何ですか?」

〈中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より〉


自分から見た合掌の絵
合掌はブッダのすがた
 このように第一から第十二までの破滅への門を答えておられます。ここで箇条書きにしてみます。

第一、理法を嫌う。
第二、悪い人々を愛し、悪人のならいを楽しむ。
第三、睡眠・集会の癖、奮励することなく、怠りなまけ、怒りっぽい。
第四、年老いて衰えた母や父を養わない。
第五、嘘をついてだます。
第六、ひとりおいしいものを食べる。
第七、血統・財産・氏姓を誇っていて、しかも己が親戚を軽蔑する。
第八、女に溺れ、酒にひたり、賭博にふけり、得たものをその度ごとに失う。
第九、おのが妻に満足せず、遊女に交わり、他人の妻に交わる。
第十、青春を過ぎた男が、若い女を誘き入れて彼女についての嫉妬から夜も眠られない。第十一、酒肉に荒み、財を浪費する女、またはこのような男に、実権を託す。
第十二、財力が少ないのに欲望が大きい。
 これは当時の時代背景にもとづき例示的に列挙されたものでありますが、2500年後の現代にも相通じるものがあります。否かたちは少々違っても全く同様です。 この破滅は、文字どおり破滅への警告であり、単なる戒めではありません。そこを取り違えると大変なことになります。今朝、フアンだった元プロ野球選手が覚醒剤所持の現行犯で逮捕されたニュースが流れました。まことに残念でなりません。 ブッダは深い慈悲から、破滅への門をくぐることのないよう、強く戒められたのです。 一つ一つを現在の己が生活に当てはめて深く認識する必要がありそうです。